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箱根丸

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箱根丸
基本情報
所有者 日本郵船
運用者 日本郵船
建造所 三菱重工業長崎造船所
経歴
進水 1921年
竣工 1921年
その後 軍用船に転用後、1943年沈没
要目
総トン数 10,423トン
載貨重量 11,530 トン
垂線間長 150.88 m
型幅 18.89 m
型深さ 11.28 m
喫水 8.88 m
主機関 MBパーソンス2段減速タービン機関×2基
出力 9,600馬力(計画)
航海速力 14.0ノット(満載航海)
乗組員 195名、旅客:1等118名、2等55名、3等134名
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箱根丸(はこねまる)は、かつて日本郵船が所有・運航した貨客船大正後期から昭和初期に欧州航路で使用された。姉妹船に筥崎丸榛名丸白山丸。これらは頭文字がHであることから「H型船」とも呼ばれた。

なお日本郵船の「箱根丸」には、1968年竣工の初代コンテナ船、1983年竣工の2代目コンテナ船も存在する。

概要

日本郵船は第一次世界大戦中に八坂丸(1万2千トン)、宮島丸(8千トン)、平野丸(同)をドイツ軍に撃沈されたため、1万トン級の貨客船3隻(箱根丸、筥崎丸、榛名丸)の建造を決定し、三菱重工業長崎造船所に発注した[1]。諏訪丸型を改良したもので、MBパーソンスタービン機関を採用した。三菱長崎では3隻と同型のストックボート1隻を建造し、後にこれも日本郵船が購入した(白山丸)。

まず箱根丸が第1船として竣工。1921年11月29日に神戸を出航、ロンドンに向けて処女航海に出た。以後、20年にわたって欧州航路に使用された(47航海)。

1939年に第二次世界大戦が勃発。欧州航路としては1940年5月30日の出航が最後となった。同年12月から翌年までボンベイ航路に使用された(3航海)。1941年にはダバオマニラの日本人の内地引揚げに使用された。

1942年8月、海軍に徴用。1943年11月に陸軍に徴用され、軍用船となる。11月27日に台湾海峡で空爆を受けて沈没する。乗客832名に人的被害はなかったという。

参考文献

  • 船舶技術協会『船の科学』1999年9月号 第52巻第9号[2]
  • 造船協会『日本近世造船史 附図』1935年[3]

注釈

  1. ^ 工業雑誌 55(706)[1]

関連項目