我路駅
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我路駅 | |
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がろ Garo | |
◄盤の沢 (1.8 km) (0.8 km) 美唄炭山► | |
所在地 | 北海道美唄市我路 |
所属事業者 | 三菱鉱業 |
所属路線 | 美唄鉄道線 |
キロ程 | 7.5 km(美唄起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1914年(大正3年)11月5日 |
廃止年月日 | 1972年(昭和47年)6月1日 |
備考 | 路線廃止に伴い廃駅 |
我路駅(がろえき)は、かつて北海道美唄市我路(現・美唄市我路町2条)に存在した三菱鉱業美唄鉄道線(美唄鉄道)の駅(廃駅)である。
概要
1972年(昭和47年)5月31日まで運行していた三菱鉱業美唄鉄道線(美唄鉄道)の鉄道駅であり、美唄駅から5番目の駅であった。美唄市の我路地区に位置し、当鉄道が運用されていた頃は我路地区住民の最寄の駅となっており、駅舎も設置されていた[1]。
当鉄道が敷かれる前からこの地区には炭鉱に従事する人々が集まって小市街を形成しはじめていた。このため鉄道が敷かれた当初より駅が置かれたが、これによりさらに人々が集まり、はじめはバラック作りではあったが、この市街の急速な発展は当時の人々を驚かせるほどであった。また、我路という地名は初代炭鉱長が付けたとされ、それが駅名になった。
廃止後は、駅舎は保存されず、1973年(昭和48年)にこの地域に最後まで残っていた北菱産業の我路炭鉱の閉山もあり、主力炭鉱閉山の相次いだ1960年代以降も残っていた周辺地域の住民の多くがこの地を離れた[2]。
歴史
- 1914年(大正3年)11月5日 - 石狩石炭美唄軽便鉄道運行開始に伴い当駅(停車場)開設。
- 1915年(大正4年)10月11日 - (三菱合資系)美唄鉄道の駅となる。
- 1950年(昭和25年)4月25日 - 三菱鉱業美唄鉄道の駅となる。
- 1965年(昭和40年)10月15日 - 委託駅となる。
- 1970年(昭和45年)10月1日 - 無人化。
- 1972年(昭和47年)6月1日 - 三菱鉱業美唄鉄道線廃止により廃駅
駅構造
駅舎は美唄炭山に向かって左側(北側)にあり、単式ホーム1面1線を有した。1962年(昭和37年)時点で既に側線は無く、以降も廃線まで無かったが[3]、1924年(大正13年)の市街図には美唄炭山側の北側に、市街路と道で繋がる小さな貨物積卸場や隣接する倉庫と共に美唄炭山側から分岐してホーム端までの側線が描かれている[4]。 一方、常盤台まで延伸する前の状況と思われる図には、駅舎は無くホームが南側に描かれたもの[5]があるが、事実関係は不明。
利用状況
乗車人員推移 | |
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年度 | 1日平均人数 |
1951 | 901[6] |
1960 | 666[6] |
1965 | 187[7] |
1966 | 283[7] |
その他
- アクセス
- 我路地区
隣の駅
脚注
- ^ a b c 我路の風景 - 炭鉱が生んだ大都会
- ^ 産業遺跡リスト
- ^ 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス 1962年撮影航空写真 MHO622-C1-33。北海道運炭鉄道追憶 美唄鉄道 いのうえこーいち編 2000年8月15日 プレス・アイゼンバーン発行等。
- ^ 美唄市百年史 1991年発行。
- ^ 1928年(昭和3年)版 線路一覧略図 札幌鉄道局発行。沼貝線図。
- ^ a b 美唄市百年史 通史編 P1078。
- ^ a b 美唄市百年史 通史編 P1379。
- ^ 市民バスについて - 北海道美唄市
- ^ そらち 産業遺産と観光 歴史の証言者 - 120軒以上が軒を連ねた我路の商店街