ジェームズ・コンプトン (第5代ノーサンプトン伯爵)
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第5代ノーサンプトン伯爵ジェームズ・コンプトン(英語: James Compton, 5th Earl of Northampton、1687年5月2日 – 1754年10月3日)は、イギリスの貴族、政治家。1687年から1727年までコンプトン卿の儀礼称号を使用した[注 1]。
生涯
第4代ノーサンプトン伯爵ジョージ・コンプトンと1人目の妻ジェーン・フォックス(Jane Fox)の長男として生まれた[1]。1696年頃から1700年までイートン・カレッジで教育を受け[2]、1703年6月8日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学した[3]。1707年から1709年7月まで、グランドツアーの一環としてオランダ、ドイツ、イタリアを旅したが、そのときの経験でオランダ嫌いになったという[2]。
1710年イギリス総選挙でウォリックシャー選挙区から出馬して当選、庶民院議員に就任したが[2]、1年後の1711年12月28日には繰上勅書により父の存命中にコンプトン男爵を継承、貴族院に移籍した[1][2][3]。庶民院議員の在任中、オクトーバー・クラブの一員だった[2]。
1727年4月に父が死去するとノーサンプトン伯爵を継承、さらに1743年に叔父にあたる初代ウィルミントン伯爵スペンサー・コンプトンが後継者のないまま死去するとその遺産を継承した[2](ウィルミントン伯爵の爵位は断絶した)。
1754年10月3日に死去、コンプトン男爵の爵位は娘シャーロットが継承したが、ノーサンプトン伯爵の爵位は男子しか継承できなかったため弟ジョージが継承した[1]。
家族
1716年3月7日、第14代チャートリーのフェラーズ女男爵エリザベス・シャーリーと結婚、1女をもうけた。
- シャーロット(1770年9月3日没) - チャートリーのフェラーズ女男爵、コンプトン女男爵。初代タウンゼンド侯爵ジョージ・タウンゼンドと結婚
脚注
出典
- ^ a b c Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 1504.
- ^ a b c d e f Hayton, D. W (2002). "COMPTON, James, Lord Compton (1687-1754)". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年5月21日閲覧。
- ^ a b Foster, Joseph, ed. (1891). Colericke-Coverley. pp. 304–337.
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は無視されます。 (説明)
グレートブリテン議会 | ||
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先代 サー・ジョン・モードント アンドリュー・アーチャー |
庶民院議員(ウォリックシャー選挙区選出) 1710年 – 1711年 同職:サー・ジョン・モードント |
次代 サー・ジョン・モードント サー・ウィリアム・ブロットン |
イングランドの爵位 | ||
先代 ジョージ・コンプトン |
ノーサンプトン伯爵 第5期 1727年 – 1754年 |
次代 ジョージ・コンプトン |
コンプトン男爵 (繰上勅書により) 1711年 – 1754年 |
次代 シャーロット・タウンゼンド |