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シャーロット・タウンゼンド (タウンゼンド子爵夫人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

タウンゼンド子爵夫人、第15代チャートリーのフェラーズ女男爵および第7代コンプトン女男爵シャーロット・タウンゼンド英語: Charlotte Townshend, Viscountess Townshend, 15th Baroness Ferrers of Chartley and 7th Baroness Compton、旧姓コンプトンCompton)、1770年9月3日没)は、イギリスの貴族、子爵夫人。

生涯

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第6代コンプトン男爵ジェームズ・コンプトン(後の第5代ノーサンプトン伯爵)と第14代チャートリーのフェラーズ女男爵エリザベス・シャーリーの娘として生まれた[1]

1741年3月13日に母が死去すると、チャートリーのフェラーズ女男爵の爵位は停止状態(abeyance)になったが、1749年5月8日に姉ジェーンが死去するとシャーロットが唯一の継承者となったため、停止状態は解消され、シャーロットがチャートリーのフェラーズ女男爵を継承した[1]

1751年12月19日、ジョージ・タウンゼンド(1764年3月12日にタウンゼンド子爵を継承、1807年9月14日没)と結婚[1]、4男4女をもうけた[2]

  • ジョージ英語版(1755年 – 1811年) - 第16代チャートリーのフェラーズ男爵、第8代コンプトン男爵、初代レスター伯爵、第2代タウンゼンド侯爵
  • ジョン英語版(1757年 – 1833年) - 庶民院議員。子供あり
  • フレデリック・パトリック(1767年12月30日 – 1836年1月18日)
  • チャールズ・パトリック・トマス(1769年 – 1796年) - 庶民院議員
  • シャーロット - 早世
  • キャロライン - 早世
  • フランシス - 早世
  • エリザベス(1811年没) - 1790年5月7日、ウィリアム・ロフタス英語版と結婚、子供あり

1754年10月3日に父が死去すると、コンプトン女男爵の爵位を継承した[1]

1770年9月14日にリークスリップ英語版城で死去、10月1日にレイナム英語版で埋葬された[1]

出典

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  1. ^ a b c d e Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1926). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 332–334.
  2. ^ "Ferrers of Chartley, Baron (E, 1299 - abeyant 1855)". Cracroft's Peerage (英語). 18 March 2012. 2019年10月20日閲覧
イングランドの爵位
先代
ジェームズ・コンプトン
コンプトン女男爵
1754年 – 1770年
次代
ジョージ・タウンゼンド英語版
停止
最後の在位者
エリザベス・コンプトン
チャートリーのフェラーズ女男爵
1749年 – 1770年