シャーロット・タウンゼンド (タウンゼンド子爵夫人)
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タウンゼンド子爵夫人、第15代チャートリーのフェラーズ女男爵および第7代コンプトン女男爵シャーロット・タウンゼンド(英語: Charlotte Townshend, Viscountess Townshend, 15th Baroness Ferrers of Chartley and 7th Baroness Compton、旧姓コンプトン(Compton)、1770年9月3日没)は、イギリスの貴族、子爵夫人。
生涯
[編集]第6代コンプトン男爵ジェームズ・コンプトン(後の第5代ノーサンプトン伯爵)と第14代チャートリーのフェラーズ女男爵エリザベス・シャーリーの娘として生まれた[1]。
1741年3月13日に母が死去すると、チャートリーのフェラーズ女男爵の爵位は停止状態(abeyance)になったが、1749年5月8日に姉ジェーンが死去するとシャーロットが唯一の継承者となったため、停止状態は解消され、シャーロットがチャートリーのフェラーズ女男爵を継承した[1]。
1751年12月19日、ジョージ・タウンゼンド(1764年3月12日にタウンゼンド子爵を継承、1807年9月14日没)と結婚[1]、4男4女をもうけた[2]。
- ジョージ(1755年 – 1811年) - 第16代チャートリーのフェラーズ男爵、第8代コンプトン男爵、初代レスター伯爵、第2代タウンゼンド侯爵
- ジョン(1757年 – 1833年) - 庶民院議員。子供あり
- フレデリック・パトリック(1767年12月30日 – 1836年1月18日)
- チャールズ・パトリック・トマス(1769年 – 1796年) - 庶民院議員
- シャーロット - 早世
- キャロライン - 早世
- フランシス - 早世
- エリザベス(1811年没) - 1790年5月7日、ウィリアム・ロフタスと結婚、子供あり
1754年10月3日に父が死去すると、コンプトン女男爵の爵位を継承した[1]。
1770年9月14日にリークスリップ城で死去、10月1日にレイナムで埋葬された[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d e Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1926). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 332–334.
- ^ "Ferrers of Chartley, Baron (E, 1299 - abeyant 1855)". Cracroft's Peerage (英語). 18 March 2012. 2019年10月20日閲覧。
イングランドの爵位 | ||
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先代 ジェームズ・コンプトン |
コンプトン女男爵 1754年 – 1770年 |
次代 ジョージ・タウンゼンド |
停止 最後の在位者 エリザベス・コンプトン
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チャートリーのフェラーズ女男爵 1749年 – 1770年 |