内藤信貞
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 万治3年(1660年) |
死没 | 寛文13年3月4日(1673年4月20日) |
改名 | 藤太郎(幼名)、信貞 |
戒名 | 法雲院恵林 |
官位 | 従五位下丹後守 |
藩 | 陸奥棚倉藩世嗣 |
氏族 | 内藤家 (信成系) |
父母 | 内藤信良、松平直基養女 |
兄弟 | 岡部正敦室、信貞、内藤信朋正室、信輝ら |
内藤 信貞(ないとう のぶさだ)は、江戸時代前期の陸奥国棚倉藩の世嗣。
略歴
2代藩主・内藤信良の長男として誕生。母は松平直基の養女(本多昌長の娘)。幼名は藤太郎。
寛文6年(1666年)徳川家綱に披露されるが、寛文13年に早世した。享年14。法名は法雲院恵林。葬地は小石川無量院(廃寺)と伝えられている。
当時信良には男児が無かったため、寛文13年(延宝元年)10月、養子として内藤弌信が迎えられ、延宝2年にその家督が継承された。
参考文献
- 『新訂寛政重修諸家譜』13巻 続群書類従完成会、1984年 同書201項