櫛田亮介
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三重バイオレットアイリス | |||||||||||
役職 | チームマネージャー | ||||||||||
所属リーグ | 日本ハンドボールリーグ | ||||||||||
基本情報 | |||||||||||
国 | 日本 | ||||||||||
出身地 | 奈良県生駒市 | ||||||||||
生年月日 | 1977年6月29日(47歳) | ||||||||||
利き腕 | 左 | ||||||||||
出身 |
奈良市立一条高等学校 中部大学 | ||||||||||
ポジション | RB | ||||||||||
所属クラブ | |||||||||||
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監督歴 | |||||||||||
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櫛田 亮介(くしだ りょうすけ、1977年6月29日 - )は、奈良県生駒市出身の元ハンドボール選手、指導者。日本ハンドボールリーグの三重バイオレットアイリスでチームマネージャーを務めている。
経歴
[編集]中部大学入学を機に本格的に競技スタート。1999年には西日本学生ハンドボール選手権大会準優勝。同大会優秀選手賞に選出される。
大学卒業後は社会人ハンドボールの名門・ホンダに入団。2000年、2001年と日本リーグ優勝を経験。
2003年10月にホンダ熊本へ移籍。その半年後にチームの活動縮小方針決定。
2006年にハンドボールの本場であるヨーロッパへ単身で渡り、ドイツ4部リーグのESVロク・ピルナとプロ契約。リーグ優勝を果たす。
2007年、試合中に相手選手からの激しいコンタクトを受け、左膝脱臼による複合靭帯損傷の大けがを負い、競技復帰は絶望的と診断される。その後、靭帯再建手術が成功し、受傷後2年間を期限として競技復帰を決意。
2008年3月に怪我を理由に契約解除。帰国の途に就く。同年ドイツ5部リーグ「TSV Weinsberg」からドイツでリハビリを継続しジュニアチームのコーチをしながら、一軍での競技復帰を目指してはどうか、との打診を受けるもビザの取得は叶わず、日本リーグでの球界復帰を目指してアプローチを開始。
2009年9月に北陸電力ブルーサンダーへ入団。9月19日の対豊田合成戦で約2年振りに見事競技復帰を果たす。
2012年5月より北陸電力のコーチ兼任選手となり、チーム最年長選手として活動。
2015年5月から三重バイオレットアイリスの監督に就任。
2018-19年シーズン終了後に監督を退任[1]。
詳細情報
[編集]年度別監督成績
[編集]レギュラーシーズン
[編集]年 | リーグ | チーム | 順位 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
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2015-16 | JHL | MVI | 6位 | 12 | 4 | 1 | 7 | 204 | 233 |
2016-17 | 4位 | 18 | 9 | 0 | 9 | 370 | 364 | ||
2017-18 | 4位 | 24 | 15 | 1 | 8 | 501 | 488 | ||
2018-19 | 4位 | 24 | 13 | 2 | 9 | 525 | 503 | ||
JHL:4年 | 78 | 41 | 4 | 33 | 1600 | 1588 |
JHLプレーオフ
[編集]年 | 大会名 | 対戦相手 | 勝敗 |
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2016-17 | プレーオフ準決勝 | 北國銀行 | 20-23 / 敗退 (4位) |
2017-18 | プレーオフ1stステージ | ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング | 18-23 / 敗退 (4位) |
2018-19 | プレーオフ1stステージ | オムロン | 15-21 / 敗退 (4位) |
脚注
[編集]- ^ 監督交代のお知らせ・梶原晃 監督就任! 三重バイオレットアイリス (2019年4月25日)
外部リンク
[編集]- 左腕坊主 - 公式サイト
- 三重バイオレットアイリス