ヴィルヘルム1世 (ヘッセン=ローテンブルク方伯)
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ヴィルヘルム1世 Wilhelm I. | |
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ヘッセン=ローテンブルク方伯 | |
在位 | 1693年5月2日 - 1725年11月20日 |
出生 |
1648年5月15日 カッセル |
死去 |
1725年11月20日(77歳没) ランゲンシュヴァルバッハ |
埋葬 | ランゲンシュヴァルバッハ、聖エリーザベト・カトリック教会 |
配偶者 | マリア・アンナ・ツー・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォール |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ヘッセン=カッセル家 |
父親 | ヘッセン=ラインフェルス=ローテンブルク方伯エルンスト1世 |
母親 | マリー・エレオノーレ・フォン・ゾルムス=リッヒ |
ヴィルヘルム1世(Wilhelm I. von Hessen-Rotenburg, 1648年5月15日 - 1725年11月20日)は、ヘッセン=ローテンブルク方伯(在位:1683年 - 1725年)。甥のヘッセン=ヴァンフリート=ラインフェルス方伯ヴィルヘルム2世と区別するため、「1世」または「老伯("der Jüngere")」と呼ばれた。
生涯
[編集]ヘッセン=ラインフェルス=ローテンブルク方伯エルンスト1世とその妻でゾルムス=リッヒ伯フィリップ1世の娘であるマリー・エレオノーレの間の長男として生まれた。父はヘッセン=カッセル方伯モーリッツとその後妻のユリアーネ・フォン・ナッサウ=ディレンブルク(Juliane von Nassau-Dillenburg)の間に生まれた息子達のうちの1人で、同母兄弟と共に宗主のヘッセン=カッセル方伯領の4分の1の領域からなる分封領「ローテンブルガー・クヴァルト(Rotenburger Quart)」を与えられていた。
ヴィルヘルムはローテンブルク・アン・デア・フルダに住み、タウヌス山地のランゲンシュヴァルバッハにしばしば滞在した。ヴィルヘルムとその子孫はヘッセン家のうちローテンブルガー・クヴァルトを受け継いだ系統の嫡系であり、孫のコンスタンティンの代にはローテンブルガー・クヴァルトを統合した。1725年に亡くなり、遺骸はランゲンシュヴァルバッハにある聖エリーザベト・カトリック教会に安置された。
子女
[編集]1669年3月3日にベルギー地方のロシュフォールにて、マリア・アンナ・ツー・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォールと結婚し、間に8人の子女をもうけた。
- エレアノーレ(1674年)
- マリア・エレアノーレ(1675年 - 1720年) - 1692年、プファルツ=ズルツバッハ公テオドール・オイスタッハと結婚
- エリーザベト(1677年 - 1739年) - 1695年、ナッサウ=ハダマール侯フランツ・アレクサンダーと結婚
- ゾフィー(1678年)
- アマーリエ(1679年 - 1680年)
- ヨアネータ(1680年 - 1766年)
- エルネスティーナ(1681年 - 1732年) - 1719年、ラ・ビリャロンガ伯爵ロベルト・デ・ラ・セルダと結婚
- エルンスト・レオポルト(1684年 - 1749年) - ヘッセン=ローテンブルク方伯
ヴィルヘルム1世 (ヘッセン=ローテンブルク方伯)
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ドイツの君主 | ||
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先代 エルンスト1世 |
ヘッセン=ローテンブルク方伯 1693年 - 1725年 |
次代 エルンスト2世レオポルト |