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白水半次郎

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白水 半次郎(しろうず はんじろう、1899年6月17日 - 1991年8月13日[1])は、日本実業家

経歴・人物

福岡市に生まれる。福岡県立中学修猷館[2]旧制山口高等学校を経て、1925年九州帝国大学工学部電気科を卒業した。

1925年阪神急行電鉄(現・阪急電鉄、企業としては阪急阪神ホールディングス)[3]に入社。

電気部長、取締役(1951年11月)、取締役常務(1956年12月)、取締役専務(1959年11月)を経て、1969年5月副社長に就任する。1953年に阪急バス社長も兼任している。

1971年11月、同副社長を辞任し北大阪急行電鉄社長に就任。1974年エフエム大阪社長を兼任する。宝塚歌劇団評議員も務めている。

脚注

  1. ^ 『人物物故大年表 日本人編 Ⅱ(1946-2004)』601頁(日外アソシエーツ、2006年)
  2. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員13頁
  3. ^ 阪神急行電鉄は1943年に京阪電気鉄道と合併して京阪神急行電鉄となる(1973年に阪急電鉄に改称)。

参考文献 

  • 『人事興信録第29版』人事興信所、1977年、シ-178頁
  • 「関西経協を推進する人たち(10)白水半次郎氏」『関西経協』第24巻第3号 関西経営者協会、1970年、21頁