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ペンシルバニア鉄道K4s形蒸気機関車

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ペンシルバニア鉄道K4s形蒸気機関車
1944年のK4s形
1944年のK4s形
基本情報
運用者 ペンシルバニア鉄道
製造所 ジュニアータ工場 (350両)
ボールドウィン (75両)
製造年 1914年 - 1928年
製造数 425両
運用終了 1957年
主要諸元
軸配置 4-6-2
軌間 1,435 mm
長さ 25.45 m
機関車重量 140.11 t
動輪上重量 91.55 t
総重量 212 t
動輪径 2,032 mm
シリンダ数 2気筒
シリンダ
(直径×行程)
686 mm × 711 mm
ボイラー圧力 1.41 MPa
火格子面積 6.493 m2
燃料搭載量 石炭: 15 t
水タンク容量 26,000 L
引張力 197.8 kN
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最初のK4sの試作車 #1737 の製造会社による公式写真。小型炭水車、手動給炭、手動逆転機、ピストン尾部の棒とオイルランプは後に全て改修
図面
流線型のK4s形(1939年ニューヨーク世界博

K4s形は、1914年から1928年まで生産された、ペンシルバニア鉄道(PRR)の旅客用蒸気機関車である。車軸配置4-6-2のパシフィック。アルトゥーナの自社工場とボールドウィンにより、合計425両が製造された。

K4sを代替する目的でK5形T1形が製造されたがどれも大きく成功せず、PRRの蒸気時代の終焉の1957年まで使用され、ディーゼル機関車が登場するまで旅客列車を牽引した。K4s形は充分強力ではなかったので時折重連や三重連で運転されたが、この方法は乗員が複数必要で経済性が悪かった。PRRは幹線の電化によって解決した。PRRは世界標準の鉄道として度々扱われ、K4s形もまた世界標準の機関車と目された。

開発

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K4sはPRRの動力車主任であるJ.T. Wallisの監修の元で開発された。主任機械技術者であるAlfred W. Gibbsと機械技術者Axel Vogtが補助した。

ボイラーは以前の機種よりも太くなり、火格子面積も増え55から70 ft2 (5.1から6.5 m2)になった。これにより蒸気発生量が大幅に増えた。最初の試作機は1914年に作られた。ねじ式の逆転機を備えていた。(後に動力式逆転機が加えられる)炭水車は当初小型の70-P-70で僅か7,000 米国液量ガロン (26 m3)の水と12.5トンの石炭を搭載し、手動給炭であった。カウキャッチャーは木製で旧式の前照灯だった。

K4sの設計は成功して他の機関車に影響を与えた。イギリスではロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道(LNER)のナイジェル・グレズリー技師がA1形のボイラーに同様の設計を取り入れた[1]

生産

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5400 - 5474はボールドウィンで、生産他の全てはPRRのジュニアータ工場で生産。

両数 番号
1914 1 1737
1917 41 番号多数
1918 111 3667–3684, 5334–5349, ほか多数
1919 15 番号多数(西線区向け)
1920 50 3726 - 3775
1923 57 3800, 3801, 3805 - 3807, 3838 - 3889
1924 50 5350–5399
1927 92 5400–5491
1928 8 5492–5499

改造

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20号機と5371号機にローラー軸受けが装着された。

1939年は5399号機に5436号機にも1940年にポペット弁が装着された。成績は良好だったが修繕が困難だった。

保存

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K4sは3750号がペンシルバニア鉄道博物館英語版と1361号がスチームタウン国定史跡で復元されアルトゥーナ鉄道員記念博物館英語版で運行されている。2008年現在、1361号機はスチームタウンの扇形庫の一角に保管されている。また、運転室部分がシカゴ科学産業博物館内交通ギャラリーに展示されている。

脚注

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  1. ^ LNER Encyclopedia - The LNER A1 and A3 Gresley Pacifics”. 2006年10月27日閲覧。

外部リンク

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