呉服座
呉服座 | |
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情報 | |
用途 | 芝居小屋 |
構造形式 | 木造 |
建築面積 | 380.35 m² |
延床面積 | 571.24 m² |
階数 | 2階 |
開館開所 |
1874年頃開館 1892年移築(猪名川河岸) 1971年移築(博物館明治村) |
所在地 |
〒484-0000 愛知県犬山市大字内山1番地 博物館明治村 |
座標 | 北緯35度20分42.1秒 東経136度59分22.5秒 / 北緯35.345028度 東経136.989583度座標: 北緯35度20分42.1秒 東経136度59分22.5秒 / 北緯35.345028度 東経136.989583度 |
文化財 | 重要文化財 |
指定・登録等日 | 1984年12月28日 |
呉服座(くれはざ)は、愛知県犬山市の博物館明治村にある建築物[1][2]。大阪府池田市に建てられていた芝居小屋を、1971年(昭和46年)に明治村に移築したものである[2]。江戸時代に成立した劇場の形式をよく伝えているとされ、1984年(昭和59年)には国の重要文化財に指定された。
建築
木造、2階建て、切妻造の建物で[1]、収容人数は 350 人程度である[3]。舞台の大きさは、間口 10 メートル、奥行き 7.6 メートルである[4]。舞台の中央には直径6.4メートルの回り舞台が設けられ、舞台の両袖には、囃子部屋が設けられている[5][6]。
舞台の天井部分には、間口 7.8 メートル、奥行き 7 メートルの葡萄棚が設けられており、これは、雪や桜の花びらをまき散らすためのものである[4]。客席部分は、中央が平土間になっており、両側には桟敷が設けられている[5][6]。花道の他に、石で造られた奈落なども設けられている[1]。
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舞台
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客席
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桟敷席
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回り舞台の下部
演劇公演
営業当時、舞台が使われた日数は、1年のうち200日から250日程度に及んだ[6]。歌舞伎や芝居、漫才や浪曲、浄瑠璃や映画、講談や落語、女剣劇や筑前琵琶などが上演されており、また、幸徳秋水や尾崎行雄らの演説会の会場になったこともあった[7][4]。川上貞奴、日吉川秋水、長谷川一夫、川上音二郎、中村鴈治郎らが来演した[4]。
歴史
演劇場「呉服座」(大阪府池田市)
1874年(明治7年)もしくは1875年(明治8年)に、現在の大阪府池田市栄本町の辺りに、戎座(えびすざ)という芝居小屋が建造されたとされている[8][6]。
1892年(明治25年)、戎座が、西之口(現在の西本町)に架かる呉服橋(旧称:巡礼橋)の南側、猪名川の堤防沿いに移築されたとされ、巡礼橋の名称が呉服橋に変更されたことに伴って、戎座が呉服座と呼ばれるようになったと考えられている[9][5][8][10]。
1929年(昭和4年)には中田安馬が建物を譲り受けて座主となった[11]。1930年(昭和5年)には管理人住宅や楽屋などが入る建物が増築され、1931年(昭和6年)には映画上映のために楽士席や映写室などが加えられた[11]。
太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)6月から1946年(昭和21年)5月には大阪・四貫島の奥山鉄工所の倉庫として使用された[11]。1946年(昭和21年)6月には再び芝居小屋としての営業を再開し[11]、戦後の10年間が呉服座の最盛期とされる。
1969年(昭和44年)5月21日から5月末にかけて行われた歌舞伎の興行を最後に閉館した[11]。閉館の理由は観客の減少による経営不振である[11]。
1989年(平成元年)、池田市の呉服座跡地に黒御影石で造られた記念碑が建てられた[1]。記念碑の大きさは、高さ 50 センチメートル、幅 80 センチメートルである[1]。
2010年(平成22年)11月1日、池田市の映画館である池田中央シネマ1・2の跡地に、呉服座の建築様式を部分的に再現した大衆演劇場「池田呉服座」(いけだごふくざ)が開館した[12][13]。
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猪名川沿いの呉服座跡地(池田市)
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大衆演劇場の池田呉服座(池田市)
建築物「呉服座」(博物館明治村)
1969年(昭和44年)の閉館の際、建物は所有者から愛知県犬山市大字内山1番地にある博物館明治村に寄贈された[11]。
1969年(昭和44年)7月18日から呉服座の解体が行われ、同年8月31日には博物館明治村への搬入が完了した[11]。1970年(昭和45年)10月5日には移築工事に着工し、1971年(昭和46年)3月10日に移築工事が竣工した[11][1][14][2]。総工費は7048万8000円である[11]。同年3月18日に一般公開が開始された[11]。
移築後の建物は、建築面積が 380.35 平方メートル、延床面積が 571.24 平方メートルである[15]。江戸時代の劇場建築として希少価値が高いことから、1984年(昭和59年)12月28日、国の重要文化財に指定された[11][5][16][1][2]。
読みについて
当建物の読みは、文化庁でも明治村でも「くれはざ」としているが、座の定紋は『糸輪の内側にお福の横顔を5つ配し、中央に「座」の一字』であることから、元来の読みは「ごふくざ」であったと考えられる。現在、大衆演劇場を運営している呉服座のサイトにおいても「移築を機に(読み方を変えて)呼ばれるようになったのではないか」としている[17]。
脚注
- ^ a b c d e f g “池田市広報”. 池田市 (1989年6月1日). 2019年12月8日閲覧。
- ^ a b c d “国宝・重要文化財(建造物)”. 文化庁. 2019年12月8日閲覧。
- ^ 『新修 池田市史 近代編』 2009, p. 809.
- ^ a b c d 『新修 池田市史 近代編』 2009, p. 808.
- ^ a b c d “旧呉服座(きゅうくれはざ)”. 愛知県. 2019年12月8日閲覧。
- ^ a b c d 『新修 池田市史 近代編』 2009, p. 807.
- ^ “呉服座(重要文化財)”. 博物館明治村. 2019年12月8日閲覧。
- ^ a b “池田市広報”. 池田市 (1995年8月1日). 2019年12月8日閲覧。
- ^ “伝説の芝居小屋”. 旅芝居の名門、呉服座. 2019年12月8日閲覧。
- ^ 『新修 池田市史 近代編』 2009, pp. 806–807.
- ^ a b c d e f g h i j k l 『明治村建造物移築工事報告書 四 重要文化財 旧呉服座』博物館明治村、1985年。
- ^ “よっ、待ってました! 池田呉服座41年ぶり“復活””. マチゴト 豊中 池田. (2010年10月21日) 2019年12月8日閲覧。
- ^ “呉服座”. 池田市観光協会. 2019年12月8日閲覧。
- ^ 芦田徹郎 (2016年3月18日). “よみがえる芝居小屋 : その社会学的研究序説”. 甲南女子大学. 2019年12月8日閲覧。
- ^ “呉服座《重要文化財》”. 名古屋大学. 2019年12月8日閲覧。
- ^ “大阪・池田に大衆劇場「呉服座」 41年ぶり再現”. 四国新聞. (2010年10月18日) 2019年12月8日閲覧。
- ^ “呉服座の歴史“2023年1月5日閲覧。
参考文献
- 池田市史編纂委員会(編集)『新修 池田市史 第3巻 近代編』池田市、2009年3月31日。