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若尾幾造 (2代)

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若尾幾造 (2代)
横浜取引所(1894年設立)。中央が若尾

2代 若尾 幾造(わかお いくぞう、1858年1月22日(安政4年12月8日[1])- 1928年昭和3年)4月29日[1][2])は、日本の実業家政治家衆議院議員貴族院多額納税者議員。幼名は隣之助、旧名・林平[1][3]

経歴

甲斐国巨摩郡在家塚村(のち山梨県中巨摩郡、現南アルプス市在家塚)で、初代若尾幾造の長男として生まれる[1][3]

家業の生糸貿易業に従事し、1896年(明治29年)に家督を相続し幾造(2代)と改名した[4][5]神奈川県高座郡藤沢町(現藤沢市)と埼玉県児玉郡本庄町(現本庄市)に生繭乾燥所を、また、高座郡鵠沼村(現:藤沢市)に製糸機械場、同郡明治村(現:藤沢市)に第二製糸場を設置して良質の生糸を製造し、海外に本邦蚕糸の優秀性を示して輸出の拡大に貢献した[3][4]。その他、神奈川県蚕糸貿易商同業組合長、横浜蚕糸外四品取引所理事長、若尾銀行頭取、横浜電線製造取締役、横浜火災海上運送信用保険取締役、東京電燈取締役、日本鉄道取締役、京浜電気鉄道取締役、帝国ホテル取締役、横浜倉庫取締役、東洋モスリン取締役、日清紡績取締役、横浜電気取締役、東洋汽船監査役、横浜生命保険監査役、東亜製粉監査役、京浜電力取締役社長などを務めた[2][6]

また、横浜市参事会員、同瓦斯局長、同参与、同瓦斯常設委員長、横浜商業会議所常議員、生糸検査所臨時商議員、蚕業諮問会員などを歴任[2]1905年(明治38年)8月17日、貴族院多額納税者議員に就任[7]し、1906年(明治39年)7月6日に辞職した[8][9]1912年(明治45年)5月、第11回衆議院議員総選挙で(神奈川県横浜市選挙区、立憲政友会所属)当選[2]。その後、第13回第14回総選挙でも再選され、衆議院議員を通算3期務めた[2]

親族

脚注

  1. ^ a b c d 『山梨百科事典』876頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』719頁。
  3. ^ a b c d e 『財界物故傑物傳』下巻、635-637頁。
  4. ^ a b 『神奈川県史 別編1』806頁。
  5. ^ 『横浜近代史辞典』201頁。
  6. ^ 『神奈川県百科事典[本編] 』924頁。
  7. ^ 『官報』第6641号、明治38年8月18日。
  8. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』228頁。
  9. ^ 『官報』第6906号、明治39年7月7日。
  10. ^ 人事興信所編『人事興信録』第6版、1921年、わ11頁。

参考文献

  • 実業之世界社編輯局編『財界物故傑物傳』下巻、実業之世界社、1936年。
  • 『山梨百科事典』山梨日日新聞社、1972年。
  • 神奈川県県民部県史編集室編『神奈川県史 別編1』人物 : 神奈川県歴史人名事典、神奈川県、1983年。
  • 神奈川県百科事典刊行会編『神奈川県百科事典[本編] 』大和書房、1983年。
  • 『横浜近代史辞典』湘南堂書店、1986年(『横浜社会辞彙』 (横浜通信社大正7年刊) の改題)。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。

関連項目