大貫文七
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大貫 文七(おおぬき ぶんしち、1840年 - 1911年1月17日)は日本メソヂスト教会の牧師である。
下総国印旛郡安食町(現・千葉県印旛郡栄町)に大貫七右衛門の子として生まれる。幕末は親子で農業を営んでいたが、1868年(明治元年)に上京して、東京の芝で米穀商を営む。
1874年(明治7年)にアメリカ長老教会のクリストファー・カロザースが近くで講義所を開く。カロザースの影響を受け、1875年(明治8年)にカロザースから洗礼を受ける。しかし、カルヴィニズムの予定説の意見に反対し、数人と共に、1876年(明治9年)にメソジスト派に転会し、メソジスト派のジュリアス・ソーパー宣教師と共に伝道を始める。そして、芝愛宕下講義所の主任になる。
1877年(明治10年)には相原英賢の応援を得て、安食町に常総教会(現・日本基督教団安食教会)を設立する。さらに、茨城県に伝道を広げる。土浦では神風講社連という団体に迫害を受けて負傷する。
1887年(明治20年)頃、愛知県西尾町の西尾教会に牧師として派遣される。晩年は引退するが、隠遁牧師として西尾町に住み、そこで亡くなる。