戸成義則
戸成 義則 となり よしのり | |
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生年月日 | 1941年4月15日(83歳) |
出生地 | 広島県御調郡宇津戸村(現・世羅郡世羅町) |
出身校 | 広島県立御調高等学校 |
前職 | 府中市議会議員 |
所属政党 | 無所属 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2014年5月2日 - 2018年5月1日 |
当選回数 | 不詳 |
在任期間 | 1998年5月16日 - 不詳 |
戸成 義則(となり よしのり、1941年(昭和16年)4月15日[1] - )は、日本の政治家。元広島県府中市長(1期)、元府中市議会議員。
来歴
広島県御調郡宇津戸村(現・世羅郡世羅町)出身。広島県立御調高等学校卒業。1962年(昭和37年)11月1日、府中市役所に入庁。1997年(平成9年)12月1日、市役所を退職。
1998年(平成10年)5月16日、府中市議会議員に就任。2006年(平成18年)5月16日から2008年(平成20年)5月15日まで市議会議長を務める[2]。
2014年(平成26年)3月末、無投票の観測が強まっていた府中市長選挙への立候補を表明。前年の12月議会で可決された市長・副市長・教育長の給料引き戻しを撤回し、市長給料を半額にすることなどを公約に掲げ、4月20日に行われた市長選に出馬[3]。元々、戸成は伊藤市長を支える議員らで構成する市長与党『平成クラブ』の議長も務めたが、反旗を翻すことになった。結果は、自由民主党の推薦を受けた現職の伊藤吉和を破り初当選を果たした(戸成:12,789票、伊藤:10,853票)。投票率は70.23%だった。伊藤は3期12年の数々の実績を強調したが、直前に発表した市長・副市長・教育長の給与基準を県内他自治体の水準に引き戻す条例案が府中市民の反感を買い集票できなかった[4][5]。
5月2日、市長に就任[6]。
政策・主張
自らの給料を半額にして捻出した費用をもとに、第1子、第2子誕生で3万円、第3子からは10万円を補助する出産応援金制度を新設したが[3][7]、その他には目立った施策はなく、伊藤市長時代の計画された事業の継承に留まった。また副市長の任命に関してはトラブルが続き、長く空席となった件について市議会にて問責決議案が可決される一方で[8]、市議会議員の定数を2減らして(20から18議席)副市長を置かない条例制定議案を提案した議案については全会一致で否決されるなど、議会との軋轢と行政の停滞が目立った[9]。2018年の任期満了に伴う市長選については、77歳になった戸成は当初進退を明らかにしていなかったが、市長候補者が1人しかいなかった為に「無投票はよくない」として出馬することとなった[10]。
落選
2018年4月22日に行われた市長選では、戸成市政を「市総合計画の点検・実行がされていない。産学官の連携も十分とは言えず、副市長の不在も問題だ」[11]として立候補していた小野申人が当選した[12]。
脚注
- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、348頁。
- ^ 市長の部屋/広島県府中市
- ^ a b “<上>府中市長選”. 読売新聞. (2014年12月16日) 2015年10月14日閲覧。
- ^ 激戦 府中市長選 一夜明け会見 戸成氏「予想外の当選」 広島 2014年4月22日 産経
- ^ 伊藤市長敗因を語る 給与問題「後悔ない」 広島 2014年4月22日 産経
- ^ 広島県 - 市町長及び議会議員の任期満了日等一覧
- ^ くらしの情報 出産応援金 | 広島県府中市
- ^ 府中市議会 副市長選任求め、市長へ問責決議 /広島 毎日新聞2017年6月17日 地方版
- ^ 府中市議会、市長追加2案を否決 定数削減、副市長廃止案 山陽新聞 2017年09月19日 20時03分
- ^ 選挙 府中市長選 立候補者の主張 22日投開票 /広島 毎日新聞2018年4月17日 地方版
- ^ 選挙 府中市長選 市政の課題、公開討論 立候補予定の2氏 /広島 毎日新聞2018年4月13日 地方版
- ^ “広島・府中市長選 小野氏が初当選”. 毎日新聞. (2018年4月23日) 2018年4月23日閲覧。
外部リンク
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