トーマス・クーパー・ゴッチ
トーマス・クーパー・ゴッチ Thomas Cooper Gotch | |
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自画像(1890年) | |
生誕 |
1854年12月10日 イギリス, ケタリング |
死没 |
1931年5月1日 イギリス, コーンウォール |
運動・動向 | ニューリン派 |
トーマス・クーパー・ゴッチ(Thomas Cooper Gotch、1854年12月10日 - 1931年5月1日)はイギリスの画家である。後期印象派、ラファエル前派に属する画家で、19世紀末にコーンウォールの漁村ニューリンに集まった画家たち、ニューリン派の代表的画家である。
略歴
[編集]ノーサンプトンシャーのケタリングに生まれた[1]。裕福な企業家の家の出身で、兄に建築家となるジョン・アルフレッド・ゴッチ(John Alfred Gotch、1852-1942)がいる。地元の学校を出て父親の仕事を手伝った後、1876年から美術の勉強を始めた。ロンドンのトマス・ヘザリーの美術学校(Heatherley School of Fine Art)で学んだ後[2]、オランダのアントウェルペン王立芸術学院で学び、1878年からロンドンのスレード美術学校で学んだ。スレード美術学校では、アルフォンス・ルグロに学び、生涯を通じて友人となるヘンリー・スコット・テュークと知り合った。また、同じ学生のキャロライン・イェーツ(Caroline Burland Yates:1854-1945)と出会い、1881年に結婚した。結婚後、夫婦でパリに渡り、アカデミー・ジュリアンでジャン=ポール・ローランスに学んだ[3][4][5] 。パリで娘が生まれた後、オーストラリアに渡り、メルボルンで美術を教えた。イギリスに戻った後、1885年にロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの保守性に反して設立された団体、ニュー・イングリッシュ・アート・クラブ(New English Art Club)の設立メンバーとなった。設立メンバーには、ジョン・シンガー・サージェント、スタンホープ・フォーブスらがいた。
1887年に、ウォルター・ラングレーやサミュエル・ジョン・バーチが作り始めたニューリンの芸術家村に移り、友人のヘンリー・スコット・テュークやフォーブスもニューリンで活動を始めた。ゴッチは、ニューリンの画家たちの作品を保有、展示するニューリン・アート・ギャラリーや、地元の若者に工芸技術を教える、ニューリン工芸教室(Newlyn Industrial Classes)の設立を助けた。
1887年に、オーストラリアの芸術家も会員とする、Royal Anglo Australian Society of Artists(後に、Royal British Colonial Society of Artistsとなるが1930年代に消滅した)を設立し、1913年から1928年まで会長を務めた。
1891年から1892年の春まで、妻とフィレンツェに滞在し、ルネサンス芸術の影響を受けて、独特な象徴的な人物画を描くようになった。
作品
[編集]-
Sharing Fish, 1891
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The Pageant of Childhood, 1895
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Alleluia, 1896
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Monsigneur Love
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The Awakening
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The Dancing Lesson
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The Dawn of Womanhood
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They Come
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The Message, 1903
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The Exile, 1930
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La Reine Clothilde
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Study of a Young Woman
参考文献
[編集]- Pamela Lomax: The Golden Dream: A Biography of Thomas Cooper Gotch, Sansom & Company Ltd. 2007, ISBN 1904537219
脚注
[編集]- ^ Thomas Cooper Gotch. Project Kettering. Manor House Museum, Kettering. Retrieved 5 October 2012.
- ^ “GOTCH, Thomas Cooper”. Who's Who 59: 706. (1907) .
- ^ Thomas Cooper Gotch. Cornwall Artists. Retrieved 4 October 2012.
- ^ Thomas Cooper Gotch. Penlee House. Retrieved 5 October 2012.
- ^ Thomas Cooper Gotch. Tate. Retrieved 5 October 2012.