コンテンツにスキップ

ウィリス・スウィート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Saaki4AWB (会話 | 投稿記録) による 2022年7月17日 (日) 14:24個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (修正, replaced: [[共和党 (アメリカ合衆国)| → [[共和党 (アメリカ)|)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ウィリス・スウィート
Willis Sweet
生年月日 (1856-01-01) 1856年1月1日
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
バーモント州の旗 バーモント州アルバラ英語版
没年月日 1925年7月9日(1925-07-09)(69歳没)
死没地 プエルトリコの旗 プエルトリコサン・フアン
所属政党 共和党

選挙区 アイダホ州の旗 アイダホ州全州選挙区
当選回数 3回
在任期間 1890年10月1日 - 1895年3月3日
テンプレートを表示

ウィリス・スウィート(Willis Sweet, 1856年1月1日-1925年7月9日)は、アメリカ合衆国バーモント州出身の政治家。1890年にアイダホ州が州に昇格した際、同州初の連邦下院議員(共和党)を務めた。アイダホ州西部の銀鉱業に資金を投入するため、「フリーシルバー(en)」(銀貨の自由鋳造を求める政治的運動)に参加したが、金本位制支持派に敗れた。

経歴

スウィートは1856年にバーモント州アルバラ英語版で生まれた。ネブラスカ大学リンカーン校を卒業後、リンカーンで印刷業を営んでいたが、1881年にアイダホ準州モスコーに移った[1]。1882年に「Moscow Mirror」の初代編集者となった[2]。1889年に弁護士資格を取得した後、アイダホ州第1司法地区裁判官やアイダホ州最高裁判所準裁判官などを歴任した。また、アイダホ準州議会議員として、アイダホ大学のモスコーへの誘致に尽力し[3]、同大学の初代理事長を務めた[4]

1890年から1895年まで下院議員を務めたスウィートは、アイダホ州西部の銀鉱山の活性化のため、銀貨の自由鋳造(フリーシルバー(en))を求めていた。1896年大統領選挙では、金本位制を掲げていたウィリアム・マッキンリーが共和党大統領候補に指名された。スウィートは共和党員だったものの、民主党人民党銀共和党から支援を受けていたウィリアム・ジェニングス・ブライアン候補を支持した[5]。ブライアンは金本位制に反発し、フリーシルバーを唱えていた。

1896年に上院議員候補となったが、アイダホ州下院議員で人民党のヘンリー・ハイトフェルドに敗れた[1]。アイダホ州北部のコーダレーンで弁護士をしていたが、1903年にプエルトリコの司法長官に任命され、同地に赴任する[6]。1905年に司法長官退任した後は、サンフアンで新聞編集者として務めていた[4][7]

エポニム

  • ウィリス・スウィート寮:1936年に設立されたアイダホ大学の学生寮[8]。2018年現在、教員事務棟であるキャロル・ライリー・ブリンク・ホールとなっている[9][10]

関連項目

参考文献

  1. ^ a b SWEET, Willis; 1856 – 1925”. Bioguide Search. 2021年12月17日閲覧。
  2. ^ “Rival papers at Moscow merged”. Lewiston Morning Tribune ((Idaho)): p. 12. (November 1, 1939). https://news.google.com/newspapers?id=KpBfAAAAIBAJ&sjid=vDAMAAAAIBAJ&pg=3474,2344305 
  3. ^ Petersen, Keith (June 18, 1988). “Genesee legislator wrote bill creating the university”. Idahonian ((Moscow)): p. 3C. https://news.google.com/newspapers?id=jtgtAAAAIBAJ&sjid=0NAFAAAAIBAJ&pg=4270,2152235 
  4. ^ a b Willis Sweet and the founding of the university”. University of Idaho Library (January 2001). November 29, 2012閲覧。
  5. ^ Claudius O. Johnson (1942). “THE STORY OF SILVER POLITICS IN IDAHO, 1892-1902”. The Pacific Northwest Quarterly 33 (3): 283-296. 
  6. ^ “Idaho man given important appointment”. Spokane Daily Chronicle ((Washington)): p. 1. (May 7, 1903). https://news.google.com/newspapers?id=_bdXAAAAIBAJ&sjid=5_MDAAAAIBAJ&pg=3257,5067596 
  7. ^ Dubois, Fred T. (August 6, 1925). “Sweet greatest orator of Idaho”. Spokesman-Review ((Spokane, Washington)): p. 10. https://news.google.com/newspapers?id=2OgUAAAAIBAJ&sjid=3uEDAAAAIBAJ&pg=5594,1093182 
  8. ^ “New residence hall honors Willis Sweet”. Spokesman-Review. Associated Press ((Spokane, Washington)): p. 10. (July 30, 1936). https://news.google.com/newspapers?id=M21WAAAAIBAJ&sjid=meMDAAAAIBAJ&pg=1635,7274491 
  9. ^ McConnell Hall”. University of Idaho (1957年). August 4, 2018閲覧。
  10. ^ posts”. Facebook. 2021年12月17日閲覧。

外部リンク

  • United States Congress. "ウィリス・スウィート (id: S001110)". Biographical Directory of the United States Congress (英語).
  • ウィリス・スウィート - Find a Grave(英語)
アメリカ合衆国下院
先代
フレッド・トマス・デュボイス
アイダホ準州代表として
アメリカ合衆国の旗 アイダホ州全州選挙区
選出議員

初代: 1890年10月1日-1895年3月3日
次代
エドガー・ウィルソン