エティオロジー
この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2017年6月) |
エティオロジー(英語: Etiology)には、主に次の2つの意味がある。
ここでは、主に病因学について記述する。
歴史
古代から中世
人類史と「病気」の歴史では、古代の時代から中世などの比較的、近世に近い時代に到るまで、「病気の起こる具体的な因果関係」については、よくわかっていなかったために、人間社会の中では、様々な混乱が歴史の中で生じた。 古くは、「病気」は、何かわからないような「瘴気」のような物が原因で病気になると考えられていた。 人々は、様々な迷信を信じていて、イギリスなどでは、死んだ人間は吸血鬼になって蘇るので、墓の心臓の所には「杭」を刺して置かなければならない、などの医学的に根拠の無い事を、他の国でも、迷信で、たくさん行い、混乱した社会を形成していた。
「古代ローマ」の時代には、少し合理的な科学手法も、いくつか考案され、「病人の出た家は、焼き払うか、あるいは、煙でいぶすべきである。」といった対策が成されていたが、この根拠も、「悪い霊や、悪魔を追い払えば病気にかからなくなる」といった感じで、このようにして、「病気」「結果」「因果関係」などを、きちんと考えていく学問についてである。
中世から近世
顕微鏡が発明され、具体的に「病原菌」というものが見えるようになってからは、「病気は、細菌が引きおこすものである」との一時的な結論に到った。 この時代には、病気になった患者の血液などを、顕微鏡で観察して「病原菌」を発見し、その「ワクチン」を作る事が、一連の流れになっていた。 この時代に起きたのが、有名な「野口英世」博士の死亡の原因となった、「病原菌」と「ウイルス」の違いである。 「野口英世」博士は、黄熱病が発生した時に「患者のいる場所へ医者がいかなくて、どうするのだ。」との信念から、患者の多くいる地域へ渡航した。 当時の医学の常識どおり、顕微鏡を使い、黄熱病の原因となっているであろう「病原菌」(本当は、さらに小さいウイルスが原因であった。)らしき物を発見し、そのワクチンを作って、効果を確認する為に、自分自身に、ワクチンを使ってみた。 ワクチンとは、イギリスの医学者、エドワード・ジェンナーが発見した医学の処置法の事であって、詳細は、「非常に弱い、同種の病気にかかった者は、体の中に”抗体”が作られ、同じ病気にかかっても、人間自身の持つ免疫によって、自然に治癒される」という仕組みの事で、つまりは、薬ではなく、「実際に、軽く病気にかかる事」を意味している。 その為に、「ワクチン」の作成に失敗していれば、その病気にかかって、あるいは、命を落とす事になる、とても危険な行為でもあった。 これが、原因で、「野口英世」博士は、黄熱病にかかって死亡してしまう。 この後に、「電子顕微鏡」が作られるようになると、その「野口英世」博士の発見した「ワクチン」用の「病原菌」の、さらに、中に、非常に小さな「ウイルス」が発見されて、それが原因であった事がわかった。 (つまり、病気の直接の原因ではなかった方の、大きな方の「細菌」の「ワクチン」を作っていたので、死亡した。) この顕微鏡と「病原菌」の発見のみが、「病因学」の主だった時代には、別の問題も起こった。 それは「病原菌」が原因ではない病気も存在する、という事の発見で、「脚気」などの栄養素欠乏症の事である。 当時は、栄養が非常に偏る、「船員」の間で、「脚気」などの栄養素欠乏症が起こり出した。 この時代には、船員と同行している船舶医師が、この栄養素欠乏症にかかった船員の血液などから、顕微鏡を使って、「病原菌」を探し出そうと試みたが、いくら綿密に調べても、全く見つからなかった。 途方にくれていると、ある船団の船員は、栄養素欠乏症にかかる船員が、ほとんど全くいなかったので、そこの船団との違いを医師が考えてみると、その船団には、「交易用のオレンジ」が大量に積まれていた。 試しに、栄養素欠乏症にかかっている船団の船員に「オレンジ」を食べさせてみた所、栄養素欠乏症が完治していった。 ここの段階まででは、まだ、いくつかの「病因学」の因果関係の選択肢が残っており、よくわからなかった。
- 「オレンジ」自体に、病原菌を撃退する能力がある。(科学的に感じられるが、中身は、迷信時代と変わらない、あやふやな物である。)
- 「オレンジ」自体に含まれる栄養素によって、栄養素欠乏症が治った。
この時代の常識では、顕微鏡と、「病原菌」の発見がワンセットのパターンになっていた為に、(2)の方の「オレンジ自体に含まれる栄養素によって、栄養素欠乏症が治った。」という概念に行き着くまでに、非常に時間がかかった。 しかし、「病因学」では、因果関係がよくわからなくても、先に「結果」が出てしまう事があり、患者の命が全てなので、よくわからないままも、船団には、「オレンジ」を支給する事で、問題は、解決した。 「栄養素欠乏症」の発見によって、様々な細かな「栄養素」の研究が進んでいき、中世から近世へと移り変わる時期では、薬などと共に、当時は高価だった、栄養素の豊富な「卵」などを摂らせたりするように医師の指示が変わっていった。 この時代の影響で、現在でも、人が病気になると、患者に「バナナ」や「メロン」などのフルーツを贈ったりするのである。 また、患者が闘病生活中に失われる栄養素を補って、患者が免疫を作りやすくしたりする効果も、栄養素や、その消費の研究によってわかっていった。 あるいは、広義な「病因学」では、患者に「花」を贈ったりして、精神的な要因からの影響も、できるだけ減らそうと試みるようになった。
近代の問題
近代に到っては、逆に、「病因学」が進展した事で起こってしまった病気も増えてきてしまった。 これは、必要が無いのに、先回りして、病気の因果関係を封じ込めようとした、いわば、化学時代全盛期の20世紀に起きた「公害」に近い物で、科学過信から生じる、別の病気の事である。 通常は、こういった事を「副作用」という言葉で、表現してしまっているが、当然!「副作用が、生じる事にも、因果関係が起こり、その副作用の病因学もある。」 「近代」で多い医学の判断ミスや失敗の部分は、「病因学」を過信しすぎた結果、生じてくる判断ミスである。
「因果関係」という物がわかると、人間は、自ずと、その原因を無くせば、問題が全て解決してしまったような”錯覚”に陥る。 ここで起きた医学の判断ミスの1つが、「無菌室」といわれる物であって、現在では、非常に危険なので、行なわない。 例えば、子供が赤ん坊の状態から、ずっと「無菌室」に入れて育ったとすると、その赤ん坊は病気にはかからないかもしれない。 しかし、それは!「無菌室のみでしか生きられない!」という非常に悲惨な状況を生み出す。 つまり、無菌室で育てられた子供は、大人になってから、簡単な風邪のような物にかかっただけで死んでしまったり、花粉症になりやすくなったりする。(人為的に作られてしまった病気という結果になってしまっては、そもそもの医学の意味がない。) 「因果関係」においては、病原菌が無ければ、病気にかからない事は1つの目安としてわかるが、実際の対応には、直結していかない所が、「病因学」の難しい部分である。
ここで、どの部分の「病因学」の知識が抜け落ちてしまったのか?というと、「人間の方の体の仕組み」についての理解である。 病気との関連においては、「幼児期からの抗体の獲得」という行為が、「病気にかからない丈夫な体を作る」という事であって、これは逆説的に、子供の時代には、軽い病気にかかっておいた方が、その後の大人になってから、様々な病気に対抗できる強い体を獲得できる、という行為である。 ここで、やっかいなのが「抗体の仕組み」の部分であって、「抗体」というのは、「体の中に取り込まれる物質に対して反応して、攻撃する能力」の事であって、仮に、「無菌室」で子供を育てて、何か病気が流行りそうな時にだけ、「ワクチン(弱らせた病原菌)」を投与する、という手法をとってしまうと、大きな副作用としての問題が生じる。(現代の医学や社会状況が、少し似た状況になっているので、とても危ない!) 必要の無いのに、大量に人為的に「ワクチン(弱らせた病原菌)」を投与すると、「抗体」=「体の中に取り込まれる物質に対して反応して、攻撃する能力」が、大量に誤作動してしまう。 人為的に作られた「ワクチン」は、病気にかかりづらくする為に、「多めに反応するように作られている」ので、社会的に、大量のワクチンを投与された、主に都心部の人間は、「花粉症」=「免疫過剰反応」にかかりやすくなる。 「花粉症」=「免疫過剰反応」というのは、人為的に作られた「ワクチン」が、「多めに物質に反応するので、体の中に取り込まれた物質が、花粉であっても、それを、病原菌と体が勘違いして、攻撃してしまう副作用が起こる。」 免疫抗体が、体の中に入った異物(本来は、基本的には、病原菌のみにしか反応しない)を攻撃しようとすると、その残骸の結果として、「鼻水」が出る。(「花粉」を「病原菌」と勘違いしてしまうほどに、多めに反応するように、人為的ワクチンを調整してあると、その被害は大きく、大変、苦しい花粉症の症状になってしまう!) これが、「花粉症」=「免疫過剰反応」の症状である。 ちなみに、「人為的ワクチン」ではない物が、子供が幼児期などから外で遊んだりしていて、軽くかかる風邪のような症状の事で、本来は、こういった天然にある「ワクチン」効果を利用して、次第に、「子供は、病原菌に強い、病気に打ち勝てる体を獲得していく」といった、仕組みを利用した方が望ましい。 このようにして、「花粉症」=「免疫過剰反応」というのは、人為的に作られた「公害」に近いような病気の事であるので、大量に、無意味に「ワクチン接種」を受けるのではなく、ある程度の判断が、ワクチン接種者には、ゆだねられているのである。
このようにして、「病因学」の歴史という物は、常にわからない状況に対して、1歩ずつ前進していって、「問題が解決しているように見えて、実際には、別の問題を生じてしまい、より状況がひどくなる場合も歴史の中では多く起きてきた」ので、人の命や病状に関わる事なので、日進月歩というよりも、「3歩歩いて2歩戻る」位の慎重さが必要な学問である。
関連項目