三宅福馬
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三宅 福馬(みやけ ふくま、1883年〈明治16年〉6月15日[1] - 1958年〈昭和33年〉4月7日[2])は、日本の逓信官僚。満州国法制局長。
経歴
[編集]高知県長岡郡高須村(現在の高知市)出身[1]。1902年(明治35年)、東京郵便電信学校を卒業し[3]、1907年(明治40年)に高等文官試験に合格した[2]。通信事務官補、逓信管理局事務官、東京鉄道郵便局長、逓信書記官、電気局監理課長、同業務課長、通信局電信課長、逓信官吏練習所教官などを歴任[1][3]。
1929年(昭和4年)、台湾総督府に転じ、交通局参事、同理事、同逓信部長を務めた[3]。1932年(昭和7年)、満州国法制局長に就任し、1934年(昭和9年)に退官した[3]。翌1935年(昭和10年)、電気協会常務理事となり、1938年(昭和13年)まで在任した[4]。
その後、富士飛行機株式会社副社長を務めた[5]。
著書
[編集]- 『事業監理法大意』(逓信協会、1921年)
- 『電気事業経済論』(法制時報社、1921年)
- 『事業管理汎論』(台湾総督府交通局逓信部、1930年)
- 『素描逓信科学』(通信教育振興会、1948年)
- 『日本ゆうびん史随想 ゆうびんははぐくむ』(圭文館、1955年)
脚注
[編集]- ^ a b c 大衆人事録 1937.
- ^ a b 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年、224頁。
- ^ a b c d 人事興信録 1937.
- ^ 人事興信録 1939.
- ^ 人事興信録 1943.
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版』帝国秘密探偵社、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版(下)』人事興信所、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版(下)』人事興信所、1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。