コンテンツにスキップ

三宅福馬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2022年3月1日 (火) 19:39; Cewbot (会話 | 投稿記録) による版 (Bot作業依頼: 満州 (:Category:満洲国の人物) - log)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
三宅福馬

三宅 福馬(みやけ ふくま、1883年明治16年〉6月15日[1] - 1958年昭和33年〉4月7日[2])は、日本逓信官僚満州国法制局長。

経歴

[編集]

高知県長岡郡高須村(現在の高知市)出身[1]1902年(明治35年)、東京郵便電信学校を卒業し[3]1907年(明治40年)に高等文官試験に合格した[2]。通信事務官補、逓信管理局事務官、東京鉄道郵便局長、逓信書記官、電気局監理課長、同業務課長、通信局電信課長、逓信官吏練習所教官などを歴任[1][3]

1929年(昭和4年)、台湾総督府に転じ、交通局参事、同理事、同逓信部長を務めた[3]1932年(昭和7年)、満州国法制局長に就任し、1934年(昭和9年)に退官した[3]。翌1935年(昭和10年)、電気協会常務理事となり、1938年(昭和13年)まで在任した[4]

その後、富士飛行機株式会社副社長を務めた[5]

著書

[編集]
  • 『事業監理法大意』(逓信協会、1921年)
  • 『電気事業経済論』(法制時報社、1921年)
  • 『事業管理汎論』(台湾総督府交通局逓信部、1930年)
  • 『素描逓信科学』(通信教育振興会、1948年)
  • 『日本ゆうびん史随想 ゆうびんははぐくむ』(圭文館、1955年)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 大衆人事録 1937.
  2. ^ a b 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年、224頁。
  3. ^ a b c d 人事興信録 1937.
  4. ^ 人事興信録 1939.
  5. ^ 人事興信録 1943.

参考文献

[編集]
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版』帝国秘密探偵社、1937年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版(下)』人事興信所、1937年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版(下)』人事興信所、1939年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。