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澤野外茂次

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澤野 外茂次

澤野 外茂次(さわの ともじ、1889年明治22年)12月23日[1] - 1954年昭和29年)4月19日[2])は、大正から昭和時代前期の政治家実業家石川県金沢市長。

経歴・人物

澤野佐平の次男として金沢市に生まれる[1]

1921年(大正10年)12月に金沢市会議員に当選後、4期当選[3]1927年(昭和2年)9月に石川県会議員に当選後、3期当選[3]1929年(昭和4年)12月、金沢市会議長に就任し、2期務める[3]1932年(昭和7年)、全国市会議長会(現全国市議会議長会)初代会長に就任。のち、1936年(昭和11年)7月30日、金沢市長に就任した[3]。その後、1942年(昭和17年)3月に大政翼賛会石川県支部常務委員に就任した[1]。終戦直後に金沢市長を退任し、間もなく公職追放となった[4]

ほか、所得税調査委員、大日本化学工業・北陸毎日新聞各取締役、北陸配電大正製薬所各相談役など要職を歴任した[1]

脚注

  1. ^ a b c d 帝国秘密探偵社 1943, 石川10頁.
  2. ^ 石川県議会史 第2巻 1968, 1252頁.
  3. ^ a b c d 帝国自治協会 1938, 35頁.
  4. ^ 公職追放の該当事項は「翼賛体制協議会構成員翼賛市支部長」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、550頁。NDLJP:1276156 

参考文献