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松平忠俊

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松平忠俊
時代 江戸時代前期
生誕 不明
死没 正保2年12月13日1646年1月29日
官位 従五位下刑部少輔
丹波亀山藩世嗣
父母 松平忠晴浅野長晟養女長晴院
兄弟 忠俊忠昭忠周、女子
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松平 忠俊(まつだいら ただとし)は、江戸時代前期の丹波国亀山藩の世嗣。官位従五位下刑部少輔

略歴

藤井松平家松平忠晴の長男として誕生した。母は正室の長晴院(杉原長房の娘、浅野長晟の養女)。

寛永13年(1636年)、徳川家光に初御目見するが、正保2年12月(1646年)に早世した。代わって、藤井松平の宗家・山城守家から従兄弟の忠栄が養子として父の後継に望まれた。

だが、忠俊の異母弟が誕生したためか、のちに忠栄は生家に還されている。