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後藤脩

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後藤脩

後藤 脩[1](ごとう しゅう[2]1879年明治12年)8月11日[3] - 1957年昭和32年)1月15日[4])は、日本の実業家政治家衆議院議員(当選1回、三重県第二区選出)[2]三重県松阪市長[5]。日本出版社長[5]

経歴

鳥取県会見郡彦名村(現在の米子市)出身[6]。後藤綾の弟[1]

1903年(明治36年)より三重県津市で出版業を始める[1]1906年(明治39年)、組織を改めて「合資会社三重出版社」とする[1]1924年大正13年)に組織を「三重出版社株式会社」に改め、社長に就任した[1]。そのかたわら南勢新聞社常務取締役、松阪信用組合理事などに就任した[1]。さらに松阪町会議員、同市会議員、三重県会議員、同参事会員に選出された[2][4][6]

1932年(昭和7年)、第18回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。立憲政友会に所属する[2]

その後、1941年(昭和16年)から1946年(昭和21年)まで松阪市長を務めたが、戦後、公職追放となり[7]、追放解除後の1955年(昭和30年)、再び松阪市長に選出された。在職中の1957年(昭和32年)に死去した。

その他、笹川紡織株式会社取締役、合同瓦斯株式会社取締役などを務めた[6]

人物

趣味は書画、写真[5]。宗教は禅宗[5]。住所は三重県松阪市本町[5]

家族・親族

後藤家
  • 妻・いと1880年 - ?、三重、倉田駒之助の二女)[1]
  • 息子[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『最新業界人事盛衰録』コの部15頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月13日閲覧。
  2. ^ a b c d 『議会制度七十年史 第11』この部198頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月13日閲覧。
  3. ^ 衆議院『第61回帝国議会衆議院議員名簿』、1932年。
  4. ^ a b 衆議院議員名鑑 1962.
  5. ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 上』コ96頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月13日閲覧。
  6. ^ a b c 衆議院議員略歴 1940.
  7. ^ 公職追放の該当事項は「翼賛松阪市」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、79頁。NDLJP:1276156 

参考文献

  • 通俗経済社編『最新業界人事盛衰録』通俗経済社、1931年。 
  • 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。 
  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。 
  • 衆議院、議院編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。