豊江王
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豊江王(とよえおう、延暦15年(796年) - 貞観5年7月16日(863年9月2日))は、平安時代初期から前期にかけての皇族。光仁天皇の後裔。三品・薭田親王の孫。高橋王の子[1]。官位は正四位下・宮内卿。
経歴
嵯峨朝末の弘仁13年(822年)三世王の蔭位により従五位下に叙爵。淳和朝では天長2年(825年)少納言兼侍従に任ぜられ、天長5年(828年)には従五位上に昇叙された。
仁明朝では、承和5年(838年)正五位下、承和9年(842年)従四位下、嘉祥2年(849年)従四位上と累進し、この間に中務大輔・兵部大輔を歴任する。文徳朝初頭の嘉祥4年(851年)正四位下に至り、斉衡3年(856年)右京大夫と引き続き京官を務める。その後、斉衡4年(857年)下総権守、翌天安2年(858年)下野守と文徳朝末にかけては地方官を歴任した。
天安2年(858年)8月の文徳天皇崩御に際しては山作司を務め、同年11月の清和天皇即位後まもなく宮内卿として京官に復した。貞観4年(862年)老いと病により宮内卿を辞して自邸に退居した[1]。翌貞観5年(863年)7月16日卒去。享年68。最終官位は前宮内卿正四位下。
官歴
『六国史』による。
- 弘仁13年(822年) 正月7日:従五位下(直叙)
- 天長2年(825年) 秋:少納言兼侍従
- 天長5年(828年) 正月7日:従五位上
- 承和5年(838年) 正月7日:正五位下
- 承和9年(842年) 7月25日:従四位下
- 承和10年(843年) 正月12日:中務大輔
- 嘉祥2年(849年) 正月7日:従四位上
- 嘉祥3年(850年) 2月25日:見兵部大輔
- 嘉祥4年(851年) 4月1日:出居侍従。11月26日:正四位下
- 斉衡3年(856年) 5月13日:右京大夫
- 斉衡4年(857年) 正月14日:下総権守
- 天安2年(858年) 正月16日:下野守。11月25日:宮内卿
- 貞観4年(862年) 日付不詳:罷官
- 貞観5年(863年) 7月16日:卒去(前宮内卿正四位下)