奥嶋桂子
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基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1957年7月12日(67歳) | |||
出身地 | 山口県防府市 | |||
ラテン文字 | Keiko Okushima | |||
身長 | 171cm | |||
体重 | 71kg | |||
血液型 | O型 | |||
選手情報 | ||||
愛称 | シマ | |||
ポジション | エース | |||
指高 | 221cm | |||
利き手 | 右 | |||
スパイク | 281cm |
奥嶋 桂子(おくしま けいこ、現姓・河村、1957年7月12日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。
来歴
[編集]山口県防府市出身。中学1年よりバレーボールを始める。三田尻女子高校(現・誠英高校)を経て、1976年に日本リーグの鐘紡(当時)に入部。
1979年、エースとしてカネボウのリーグ優勝に大きく貢献し、ベスト6賞を獲得した。カネボウ監督の上野康夫は、「幅広い攻撃力と馬力は天下一品。うまみも加わり速攻もこなす。コートマナーがよい」と評している。1980年、モスクワオリンピック出場メンバーに選出されたが、西側諸国のボイコットによりオリンピック出場は幻となった。
Vプレミアリーグトヨタ車体クインシーズ所属の河村聖子は実娘(次女)である。
エピソード
[編集]両親ともに競輪の元選手、姉は鐘紡防府のバレーボール選手というスポーツ一家に育つ。奥嶋もバレーボールを始めたが、陸上競技でも才能を発揮し、全国ジュニア陸上砲丸投で2位入賞を果たしている。中国地方のバレーボール高校合宿でブロッカーを脱臼させたことがあるほど、その右腕から繰り出されるアタックは強烈であった[1]。
球歴
[編集]- 所属チーム履歴
- 全日本代表 - 1980年
- 受賞歴
- 1979年 - 第12回 日本リーグ ベスト6
脚注
[編集]- ^ 月刊バレーボール 1975年6月号 65-66ページ
参考文献
[編集]- 月刊バレーボール1980年1月号臨時増刊 '80チームの顔 58ページ(日本文化出版刊)
- 月刊バレーボール1981年1月号臨時増刊 '81チームの顔 86ページ(日本文化出版刊)