ムアンナーン郡
座標: 北緯18度47分37秒 東経100度43分46秒 / 北緯18.79361度 東経100.72944度
ムアンナーン郡 | |
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ムアンナーン郡の位置 | |
情報 | |
タイ語名 | อำเภอเมืองน่าน |
県 | ナーン県 |
地理番号 | 5501 |
郵便番号 | 55000 |
統計 | |
面積 | 813.126 km2 |
人口 | 81,277 人 (2005年) |
人口密度 | 100.0 人/km2 |
行政 |
ムアンナーン郡(ムアンナーンぐん)はタイ北部・ナーン県にある郡(アムプー)である。ナーン県の県庁所在地(ムアン)でもある。
名前
[編集]「ナーン」とは境界線と言う意味である。また中国語の「南」が転化した物ではないかとする説もある。なお、ナーンの名称自体はナーンを流れる川、「ナーン川」に由来する。
パーリ語で書かれた歴史書には『ジナカーラマーリー』ではカーヴァラージャナガラと呼ばれているがこれはカーオと呼ばれる人(タイ族の一派である。[1])が住む地域という意味である。この為カーオナーンとするタムナーン(年代記)も存在する。通常古くはナンタブリー (นันทบุรี) 、ナンタブリーシーナコーンナーン (นันทบุรีศรีนครน่าน) などと仰々しく呼ばれていたが、次第に簡素化していき現在のようにナーンという名前が一般に定着した[2]。
公的には1899年、クウェーンナコーンナーン (แขวงนครน่าน)となり、1914年ナーンとなった。
歴史
[編集]ナーンはカーオ王国の君主であったパーコーンによって1368年8月に建設され、ナーン王国の首都となった[3][4]が内紛とスコータイ王国の干渉に悩まされ弱体化した。
1449年ごろにはラーンナーの覇権拡大を目指すティローカラートによってナーンはついにラーンナーの覇権下に入った。その後、ナーンはラーンナー様式を積極的に取り入れ、それまで有力であったスコータイ様式をしのいだ。これの良い例が1475年ごろに再建されたワット・プラタートチェーヘーンである。その後100年程度ラーンナー王朝による支配が続いた[5]。
1560年ナーンはビルマ・タウングー王朝の覇権下に入りその下で主要な都市として機能した。1726年、ビルマのコンバウン王朝はチエンマイ出身のティンマハーウォンをナーンの国主として任命。その後、シャム・チャクリー王朝とビルマの勢力の干渉を受け、お家騒動が続いたが、1931年までティンマハーウォンの一族による世襲が行われマハープロムスラターダー王までナーンの国主の世襲は続いた[7]。
このころ、18世紀後半から19世紀初頭にかけてはチーク材の宝庫としてナーンは注目され繁栄の絶頂期にあり、外国の投資まで行われたチーク材の伐採がナーン県の近辺で行われナーンはその集積・取引の中心となった[8]。しかし、1904年タイ政府が現在のナーン県の東部にあたる(現・ラオス、サイニャブーリー県)をフランス領インドシナに割譲したことにより、ナーンの経済的地位は下がっていった。
ラーマ5世(チュラーロンコーン)のチャクリー改革以降、ナーンは君主がありながら内務省の下位の法人となり、1899年、内務省の省令によりナーンは「クウェーンナコーンナーン」となった。1914年にはアンムプームアンとしての行政区分が与えられ、現在のナーン市の原型を形成した。1997年2月1日にはナーン市から一部がプーピエン分郡として分離している。
地理
[編集]市はナーン川の形成した台地に位置する。東西は山脈に囲まれており、ナーン川の流れる南に向かってなだらかな斜面となっている。市の北部には豊かな森林地帯があり、パートゥーン森林公園に指定されている。
市内の主要な道路は国道101号線で北はラオス・サイニャブリー県、ムアングンに南は国道101号線は国道11号線に続きウッタラディット、ピッサヌロークなどに通じている。西にはパヤオと国道1091号線、1251号線で通じている。なお、空の玄関口としてナーンナコーン空港もある。
経済
[編集]地域の主な産業は農業で、ソム・シートーンとよばれるミカンの生産が盛んである。
寺院
[編集]行政区分
[編集]郡は11のタムボンに分かれその下位に、105の村が存在する。ナーン中心部は自治体(テーサバーン)があり以下のようになっている。
- テーサバーンムアン・ナーン・・・タムボン・ナイウィエン
郡内には10のタムボン行政体(オンカーンボーリハーンスワンタムボン)が設置されている。以下は市内のタムボンの一覧である。内、欠番はナーン郡から分離してプーピエン分郡として成立した郡である。
- タムボン・ナイウィエン・・・ตำบลในเวียง
- タムボン・ボー・・・ตำบลบ่อ
- タムボン・パーシン・・・ตำบลผาสิงห์
- タムボン・チャイサターン・・・ตำบลไชยสถาน
- タムボン・トゥームトーン・・・ตำบลถืมตอง
- タムボン・ルアン・・・ตำบลเรือง
- タムボン・ナーチャーオ・・・ตำบลนาชาว
- タムボン・ドゥータイ・・・ตำบลดู่ใต
- タムボン・コーンクワーイ・・・ตำบลกองควาย
- タムボン・サウォック・・・ตำบลสวก
- タムボン・サニエン・・・ตำบลสะเนียน
脚注
[編集]- ^ これについては、 The Nan Chronicle, trans. and ed. by David K. Wyatt, Ithaca: Cornell University, 1994, ISBN 9780877277156 の40頁注4参照のこと。
- ^ นามเมืองน่าน - N@N น่าน Archived 2010年10月19日, at the Wayback Machine.
- ^ The Nan Chronicle, trans. and ed. by David K. Wyatt, Ithaca: Cornell University, 1994, p.48. See also note 2
- ^ พื้นเมืองเชียงแสน ดร.นิธิ เอียวศรีวงศ์ บรรณาธิการ, สรัสวดี อ๋องสกุล ปริวรรต ตรวจสอบ และ วิเคราะห์, กรุงเทพฯ: สำนักพิมพ์อมรินทร์, 2546, p.11 ISBN 9789748364742
- ^ ประวัติศาสตร์ - N@N น่าน Archived 2010年10月19日, at the Wayback Machine.
- ^ “ประวัติความเป็นมา” (Thai). พิพิธภัณฑสถานแห่งชาติน่าน. 2008年2月20日閲覧。
- ^ Wyatt, David K.: "Assult by Ghosts: Politics Religion in Nan in the Eighteenth Century," Studies in Thai History, Chian Mai: Silkworm Books, 1994, ISBN 9789747100280
- ^ The Nan Chronicle, trans. and ed. by David K. Wyatt, Ithaca: Cornell University, 1994, p.9