コンテンツにスキップ

大布施村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Ecchbz (会話 | 投稿記録) による 2021年3月25日 (木) 12:15個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

おおふせむら
大布施村
廃止日 1940年2月11日
廃止理由 新設合併
三日市町石田村田家村村椿村大布施村前沢村荻生村若栗村桜井町
現在の自治体 黒部市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 富山県
下新川郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 飯野村、荻生村、三日市町、石田村、生地町、村椿村
大布施村役場
所在地 富山県下新川郡大布施村大字植木
座標 北緯36度53分12秒 東経137度26分35秒 / 北緯36.88675度 東経137.44306度 / 36.88675; 137.44306座標: 北緯36度53分12秒 東経137度26分35秒 / 北緯36.88675度 東経137.44306度 / 36.88675; 137.44306
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

大布施村(おおふせむら)は、かつて富山県下新川郡にあった

沿革

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い下新川郡金屋新村、中新村、植木村、栃沢村、北野村、北野新村、北野又新村、田家角内新村、窪田新村、石塚新村、比丘尼新村、高橋新村、木鎌新村、植木又新村、堀切新村、四ツ塚村、経北野新村、植木新村、古御堂村、沓掛村(一部)、四ケ開(一部)が合併し、大布施村が発足。植木村の吉沢庄元宅に村役場を設置[1]
  • 1892年(明治25年) - 小学校敷地内に役場を建設[2]
  • 1936年昭和11年)9月 - 元の位置に木造2階建本館、平屋からなる庁舎が建設される[2][3]
  • 1940年(昭和15年)2月11日 - 下新川郡三日市町石田村田家村村椿村前沢村荻生村若栗村と合併し、桜井町となり消滅。

経済

産業

農業

『大日本篤農家名鑑』によれば、大布施村の篤農家は「森丘覚平、森丘正唯、平野甚三郎」などである[4]

出身・ゆかりのある人物

脚注

  1. ^ 『大布施村誌』(1985年7月25日、大布施振興会発行)154ページ
  2. ^ a b 『大布施村誌』(1985年7月25日、大布施振興会発行)155ページ
  3. ^ なお、庁舎は桜井町成立後は桜井町大布施出張所→黒部市大布施連絡所→大布施農業協同組合および大布施公民館として使用され、1984年10月に取り壊された。
  4. ^ 『大日本篤農家名鑑』499頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年4月19日閲覧。

参考文献

  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
  • 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。

関連項目