知念績高
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知念 績高(知念 積高、ちねん せっこう、尚穆王10年5月5日(1761年6月7日) - 尚灝王25年6月15日(1828年7月26日))は、琉球王国の三線奏者。
首里に生まれる。初め湛水流の奥平朝昌に師事し、のち屋嘉比朝寄の当流を学んだ。2回にわたり御冠船踊の楽師を務める。農民の出身だったが士族に列せられた。また、屋嘉比の作った楽譜「工六四」(くるるんしー)を改良し、「芭蕉紙工工四」(ばしょうしくんくんしー)を完成する。
知念は当時、まれにみる声楽家で、かつ理論家でもあり、屋嘉比の当流を繊細で技巧的なものに大きく変化させた。弟子に、安冨祖流の祖・安冨祖正元や野村流の祖・野村安趙がいる。野村は尚泰王の命を受け、知念の工工四を改良した「野村工工四」を編纂した[1][2]。
脚注
[編集]- ^ 日本大百科全書(ニッポニカ) 知念積高
- ^ 新城俊昭『教養講座 琉球・沖縄史』編集工房東洋企画