セルズドン男爵
セルズドン男爵(英:Baron Selsdon)はイギリスの男爵、貴族。連合王国貴族爵位。サー・ウィリアム・ミッチェル=トムソンが1932年に叙されたことに始まる。[1]本稿では前身となった準男爵位の歴史についても触れる。
歴史
スコットランドの実業家サー・ミッチェル・トムソン (1846–1918)はエディンバラ大学総長を務めたのち、1900年9月26日に(ピーブルスシャー州ポルムードの)準男爵(Baronet, of Polmood in the County of Peebles)に叙された。[2][3][4]また彼は同年に勅許を得て、母の姓である「ミッチェル」を加えた「ミッチェル=トムソン」に改姓している。[5]
2代準男爵ウィリアム(1877-1938)は保守党の政治家として活動し、スタンリー・ボールドウィン内閣では郵政大臣を務めている。[6]彼は庶民院議員を辞した後の1932年1月14日に連合王国貴族としてサリー州クロイドンのセルズドン男爵(Baron Selsdon, of Croydon in the County of Surrey) に叙されて、貴族院に転じた。[1][4]
彼の息子である2代男爵ピーター(1913-1963)はレーサーとして名を残しており、1949年度ル・マン24時間レースではルイージ・ギネッティとともに優勝を果たしている。[7]
3代男爵マルコム(1937-)は保守党の政治家として活動しており、1999年の貴族院法制定以降も貴族院に籍を置く92人の世襲貴族の一人である。[4]
2019年現在、彼が男爵家の当主である。
現当主の保有爵位
現当主である第3代セルズドン男爵マルコム・マッケンチャーン・ミッチェル=トムソンは、以下の爵位を有する。[4]
- 第3代サリー州クロイドンのセルズドン男爵(3rd Baron Selsdon, of Croydon in the County of Surrey)
(1932年1月14日の勅許状による連合王国貴族爵位) - 第4代(ピーブルスシャー州ポルムードの)準男爵(4th Baronet, of Polmood in the County of Peebles)
(1900年9月26日の勅許状による連合王国貴族爵位)
一覧
(ポルムードの)準男爵(1900)
- 初代準男爵サー・ミッチェル・ミッチェル=トムソン (1846–1918)
- 第2代準男爵サー・ウィリアム・ミッチェル=トムソン(1877-1938)(1932年にセルズドン男爵位創設)
セルズドン男爵(1932)
- 初代セルズドン男爵ウィリアム・ミッチェル=トムソン (1877–1938)
- 第2代セルズドン男爵ピーター・ミッチェル=トムソン (1913–1963)
- 第3代セルズドン男爵マルコム・マッケンチャーン・ミッチェル=トムソン (1937-)
法定推定相続人は現当主の息子コーラム・マルコム・マッケンチャーン・ミッチェル=トムソン閣下(1969-)。
脚注
- ^ a b “No.33790”. The Gazette 15 January 1932. 2019年11月14日閲覧。
- ^ “No.27254”. The Gazette 7 December 1900. 2019年11月14日閲覧。
- ^ Mosley, Charles, editor. Burke's Peerage, Baronetage & Knightage, 107th edition, 3 volumes. Wilmington, Delaware, U.S.A.: Burke's Peerage (Genealogical Books) Ltd, 2003.
- ^ a b c d “Selsdon, Baron (UK, 1932)”. Cracroft's Peerage. 2019年11月14日閲覧。
- ^ “No.27239”. The Gazette 19 October 1900. 2019年11月14日閲覧。
- ^ "Lord Selsdon". The Times. The Times Digital Archive. 27 December 1938. p. 10.
- ^ 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』, p. 223.
関連項目
- ビュート・ハウス―スコットランド首相官邸。初代準男爵が30年に渡り居住した。
- 1999年貴族院改革後における世襲貴族在籍議員一覧
参考文献
- 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』グランプリ出版 ISBN 4-87687-161-2