小出英発
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文化7年6月6日(1810年7月7日) |
死没 | 文久2年8月20日(1862年9月13日) |
官位 | 従五位下伊勢守、播磨守、信濃守、大和守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉、家慶 |
藩 | 丹波園部藩主 |
氏族 | 小出氏 |
父母 | 小出英筠 |
兄弟 | 祐英、英発、祐順、定 |
妻 | 松平康任娘 |
子 |
小出英教正室、充御、園基祥室、 坊城俊政室、英教 |
小出 英発(こいで ふさおき)は、丹波国園部藩8代藩主。吉親系小出家8代。
生涯
兄・祐英が養子となって一族他家に出たため、文政4年(1821年)の父の死去により家督を継ぐ。天保元年(1830年)に打ちこわし、天保7年(1836年)には強訴が起こるなど、藩政では多難を極めた。天保14年(1843年)9月20日、家督を婿養子の英教に譲って隠居し、文久2年(1862年)8月20日に53歳で死去した。