大石熊吉
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大石 熊吉(おおいし くまきち、元治元年5月13日[1](1864年6月16日) - 昭和20年(1945年)5月11日[2])は、日本の衆議院議員(憲政本党)。
経歴
[編集]佐賀藩士大石良英の二男として生まれる[3]。藩校弘道館で学ぶが、東京に出て神田共立学校、大学予備門で学んだ[3]。その後大隈重信の知遇を得、1884年(明治17年)に大隈の勧めでアメリカ合衆国のラトガース大学に留学した[3]。ラトガーズ大学で学位を得た後、1889年(明治22年)にニューヨーク大学に入り、1892年(明治25年)に哲学博士号を得た[3]。
帰国後は『報知新聞』記者や東京専門学校(現在の早稲田大学)講師を務めた[3]。1897年(明治30年)、大隈が農商務大臣に就任するとその秘書官となり、翌年に大隈が内閣総理大臣に就任にすると秘書官となった[3]。
1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第9回衆議院議員総選挙でも再選を果たした。
その他に大日本炭鉱株式会社監査役を務めた[1]。その後は東京市会議員に選出された[4]。
訳書
[編集]- ノリス・A・ブリスコ『現代商業経済』(1916年、良書刊行会)
- 英国統一党(保守党)本部編『社会主義者のバイブル』(1921年、広文館)
- フランスクリン・ヘンリー・ギディングス『国家の権義』(1922年、広文館)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第2版』人事興信所、1908年。
- 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。