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児玉元通

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児玉元通
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 天正3年(1575年
死没 慶長12年10月17日1607年12月6日
別名 児玉元道
通称:清四郎、九郎右衛門
主君 毛利輝元
長州藩
氏族 児玉氏
父母 父:児玉春種
兄弟 元通元信、女(三浦元精室)
伊勢松児玉就澄正室)
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児玉 元通(こだま もとみち)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将毛利氏の家臣。父は児玉春種

生涯

天正3年(1575年)、児玉春種の子として生まれる。

天正20年(1592年9月8日に父・春種が死去し、その後を継いだ。

慶長12年(1607年10月17日に死去。享年33。元通には娘の伊勢松がいるのみであったため、慶長14年(1609年5月16日毛利輝元は、伊勢松が幼少のうちは元通の弟の児玉元信が後見役となり、伊勢松が成長した際には元信の子・就澄と婚姻させて後を継がせるよう命じている。

脚注

参考文献