文室八島
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時代 | 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位下・伯耆守 |
主君 | 光仁天皇→桓武天皇 |
氏族 | 文室氏 |
父母 | 父:文室大市 |
兄弟 |
長島王、高島、波多麻呂、真老、 久賀麻呂、八島 |
子 | 池主 |
文室 八島(ふんや の やしま)は、奈良時代の貴族。大納言・文室大市の子とする系図がある。官位は従五位下・伯耆守。
経歴
[編集]宝亀9年(778年)従五位下に叙爵し、翌宝亀10年(779年)内兵庫正に任ぜられる。
桓武朝では、延暦6年(787年)正親正、延暦8年(789年)弾正弼を経て、延暦9年(790年)に伯耆守として地方官に転じた。またこの間、天応元年(781年)光仁上皇、延暦8年(789年)皇太后・高野新笠、延暦9年(790年)皇后・藤原乙牟漏がそれぞれ崩御した際に、作方相司や山作司として供奉している。
官歴
[編集]『続日本紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 宝亀9年(778年) 正月16日:従五位下
- 宝亀10年(779年) 9月4日:内兵庫正
- 天応元年(781年) 12月23日:作方相司(光仁上皇崩御)
- 延暦6年(787年) 3月22日:正親正
- 延暦8年(789年) 3月16日:弾正弼。12月29日:山作司(高野新笠崩御)
- 延暦9年(790年) 3月26日:伯耆守。閏3月11日:山作司(藤原乙牟漏崩御)