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2・タフ・トニー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2・タフ・トニー
2・タフ・トニーの画像
プロフィール
リングネーム 2・タフ・トニー
本名 トニー・ボーチャディング
身長 180cm
体重 110kg
誕生日 (1974-06-06) 1974年6月6日(50歳)
出身地 ケンタッキー州ルイビル
(出生地はミシガン州デトロイト
デビュー 1996年5月23日
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トニー・ボーチャディングTony Borcherding1974年6月6日 - )は、アメリカ合衆国ケンタッキー州ルイビル出身のプロレスラー。身長おおよそ180センチメートル、体重おおよそ110キログラム。2・タフ・トニー2 Tuff Tony)のリングネームで知られる。[1][2]

来歴

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1996年5月23日にプロレスラーとしてデビュー。それからというもの、米国のIWAミッドサウスプロレスリング・アンプラグドジャガロ・チャンピオンシップ・レスリング日本FMWなど、数多のインディ団体をその股に掛けて転戦してきた。[2][1]

1999年に新設されたIWAミッドサウスハードコア王座マッドマン・ポンドが4月に獲得すると、それからすぐにこれに挑戦し、同月内に奪取した。それからその翌月に掛けてマッドマン・ポンドを相手にこれの奪い合いを展開。[3] 2000年の3月に同団体のヘビー級王座を獲得し[4]、それとほぼ同時にハードコア王座をまたも獲得した。このハードコア王座はこの時期をもってヘビー級王座との統合によって消滅することになったため、結果としてその最終保持者となるに至った。[3]

そんな2000年にあっては、IWAミッドサウスの『デスマッチの祭典』―キング・オブ・ザ・デスマッチ(KOTDM)に初参戦し、画鋲や観客持参の凶器を用いたデスマッチへとその身を投じ[5]、その翌2001年にもこの大会に参戦。更にはブレイズの手へと渡っていたIWAミッドサウスヘビー級王座に挑戦し、これを奪取した。[6]

続けて2002年にもKOTDMへと参戦し、蛍光灯を用いたデスマッチでイアン・ロッテンを下すも、次のガラスを用いたデスマッチでネクロ・ブッチャーに下され敗退。[7] 更には2003年の大会にも参戦したうえで、蛍光灯と有刺鉄線テーブルを用いたデスマッチをJCベイリーと戦い、そのまま敗退した。[8]

2006年にはレッスルエキスポ2006を通して日本の地を踏み、5名対5名のバトルロイヤル戦JCベイリーを下すも、やがてスペルスタンリーを相手に敗退。[9] それから間もなくしてIWAイーストコーストのデスマッチ選手権―マスターズ・オブ・ペインの初大会に参戦し、一回戦目で観客持参の凶器を用いたデスマッチをJCベイリーと戦うも、そのまま敗れ退いた。[10]

ワールド・エクストリーム・カップ参戦を皮切りに日本でも名を馳せ、マッドマン・ポンドと「バカガイジンズ」を結成し、陽気な性格ながらも、狂乱ファイトで暴れ回るスタイルがお馴染みとなった。

コーポラル・ロビンソンとの抗争が名高い。[1] いつも金属のトゲがたくさんついたバットを持っている。

得意技

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  • 2・タフ・ドライバー
  • コーク・スクリュー・クロス・ボディ・アタック

タイトル歴

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DDTプロレスリング
IWAミッドサウス
パートナーはマッドマン・ポンド
ジャガロ・チャンピオンシップ・レスリング
  • JCWヘビー級王座(第10、19、22、25、30代)[13]
ワールド・エンターテイメント・レスリング
パートナーは金村キンタロー&マッドマン・ポンド

出典

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