黄光鋭

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黄光鋭
Huang Guangrui Cantonese air force.jpg
生誕 1898年6月5日
清の旗 広東省台山市
死没 1986年
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス
所属組織 中華民国空軍
最終階級 空軍中将
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黄 光鋭(こう こうえい / ファン・グワンルイ、黃光銳)は、中華民国空軍軍人

経歴[編集]

台山縣白沙鎮潮境田心村出身。幼い頃に父親と共にアメリカに移住。1916年、華僑の蔡司度によってサンフランシスコに飛行学校が設立されると入学、飛行技術を学習する。

1917年9月、孫文が軍政府大元帥に就任すると、林森、楊仙逸中国語版、陳應權などをアメリカに派遣し、航空人材を収集、育成しようとした。1920年、楊仙逸が組織した飛行訓練隊に参加。1922年末、中国に帰還。

1923年3月、航空局(局長:楊仙逸)飛機第1隊隊長[1][2]

1924年、広東航空学校飛行教官。

1926年8月、広東航空学校校長[3]

1928年3月26日、第8路軍中国語版の航空処が設立され、処長に張恵長中国語版、第1飛機隊隊長に黄光鋭が就任[4][5]。翌年、航空処処長[4]

1929年9月、中華航空協進第2回全国代表大会候補執行委員[6]

1930年、航空処が空軍司令部に改編されると司令に就任[4]

1931年6月2日、広東空軍総司令部参謀長兼第1飛機大隊司令[4][7]

1932年4月20日、空軍司令部に改編し、第1集団軍総部に隷属すると空軍司令に就任[4][7]

1936年5月、航空委員会委員[8]

1936年8月6日、中央航空学校校長[9]

1937年5月、航空委員会常務委員兼第2庁庁長[10]

1937年8月18日、空軍少将[11]

1938年3月、航空委員会技術庁庁長[12]。同年、空軍軍士学校校長。

1939年5月、航空委員会副主任兼航空研究所所長[13]

1941年4月、航空委員会軍政所長[14]

1943年2月、航空委員会副主任[15]

1946年、空軍総司令部装備部部長。

1949年、香港に移住。後にアメリカに移住。

栄典[編集]

出典[編集]

  1. ^ 盧 1974, p. 27.
  2. ^ 馬 1994, p. 302.
  3. ^ 馬 1994, p. 609.
  4. ^ a b c d e 盧 1974, p. 19.
  5. ^ 馬 1994, p. 304.
  6. ^ 馬 1994, p. 400.
  7. ^ a b 馬 1994, p. 307.
  8. ^ 馬 1994, p. 412.
  9. ^ 政府広報第2120号 (PDF)” (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2017年11月5日閲覧。
  10. ^ 盧 1974, p. 88.
  11. ^ 国民政府広報第2436号 (PDF)” (中国語). 政府広報資訊網. 2017年11月5日閲覧。
  12. ^ 盧 1974, p. 202.
  13. ^ 盧 1974, p. 231.
  14. ^ 盧 1974, p. 247.
  15. ^ 盧 1974, p. 260.
  16. ^ 国民政府広報第142号 (PDF)” (中国語). 政府広報資訊網. 2017年11月22日閲覧。
  17. ^ 国民政府広報渝字第585号 (PDF)” (中国語). 政府広報資訊網. 2017年11月27日閲覧。
  18. ^ 国民政府広報渝字第612号 (PDF)” (中国語). 政府広報資訊網. 2017年11月5日閲覧。
  19. ^ 国民政府広報渝字第701号 (PDF)” (中国語). 政府広報資訊網. 2017年11月5日閲覧。
  20. ^ 国民政府広報渝字第878号 (PDF)” (中国語). 政府広報資訊網. 2017年11月5日閲覧。
  21. ^ 国民政府広報渝字第955号 (PDF)” (中国語). 政府広報資訊網. 2017年10月11日閲覧。

参考[編集]

軍職
先代:
なし
毛邦初
航空委員会副主任
初代:1939.5 - 1940.8.19
第4代:1943.2 - ?
次代:
毛邦初
?