鬼界ヶ島

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鬼界ヶ島(きかいがしま)とは、1177年(治承元年)の鹿ケ谷の陰謀により、俊寛平康頼藤原成経流罪にされた薩摩国に属す。古代以降、日本の南端の地として長い間認識されていた。

平家物語』によると、島の様子は次の通りである。

・舟はめったに通わず、人も希である。住民は色黒で、話す言葉も理解できず、男は烏帽子をかぶらず、女は髪を下げない。農夫はおらず穀物の類はなく、衣料品もない。島の中には高い山があり、常時火が燃えており、硫黄がたくさんあるので、この島を硫黄島ともいう(『源氏物語』巻第二・大納言死去)。
・美しい堤の上の林、紅錦刺繍の敷物のような風景、雲のかかった神秘的な高嶺、綾絹のような緑などの見える場所があった。山の風景から木々に至るまで、どこよりもはるかに素晴らしい。南を望めば海は果てしなく、雲の波・煙の波が遠くへ延びて、北に目をやれば険しい山々から百尺の滝がみなぎり落ちている(『平家物語』巻第三・康頼祝言)。

1178年(治承2年)に康頼、成経は赦免され京に帰るが、俊寛のみは赦されず、独り島に残され、悲嘆のうちに死んだ。

鬼界ヶ島の現在の場所ははっきりしないが、薩南諸島の以下の島のいずれかと考えられている。

  • 硫黄島 - 1995年平成7年)5月に建てられた俊寛の銅像がある。火山の硫黄によって海が黄色に染まっていることから、「黄海ヶ島」と名付けられたとの説がある。
  • 喜界島 - 俊寛の墓と銅像がある。墓を調査した人類学者の鈴木尚によると、出土した骨は面長の貴族型の頭骨で、島外の相当身分の高い人物であると推測された。

また、薩南諸島とは離れた長崎県伊王島にも俊寛の墓がある。

関連項目[編集]

  • 外ヶ浜:古代から中世にかけ日本の北端とされた。

外部リンク[編集]