高田弘 (実業家)

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高田 弘(たかだ ひろむ、1911年9月22日 - 1997年7月31日)は、日本の経営者。協和醗酵工業(現在の協和キリン)社長を務めた。

経歴[編集]

愛知県出身[1]1935年京都帝国大学工学部工業化学科を卒業し、東洋紡績、東亜化学、協和産業での勤務を経て、1949年協和醗酵工業に入社[1]1958年に取締役に就任し、1962年に常務、1964年8月に専務を経て、1971年7月に副社長に就任し、1972年7月には社長に昇格[1]1978年3月に取締役相談役に就任し、1980年3月に相談役を経て、1990年4月には特別顧問に就任[1]

1997年7月31日肺癌のために死去[2]。85歳没。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 人事興信所 1991, た166頁.
  2. ^ 1997年 8月2日 日本経済新聞 朝刊 p39

参考文献[編集]

  • 人事興信所 編『人事興信録 第36版 下』人事興信所、1991年。 
先代
桑田猛
協和醗酵工業社長
1972年 - 1978年
次代
木下祝郎