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飯田直次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いいだ なおじろう

飯田 直次郎
生誕 (1884-06-26) 1884年6月26日
日本の旗 日本京都府
死没 (1952-01-23) 1952年1月23日(67歳没)
東京都
死因 肝硬変
出身校 東京帝国大学法科経済学科
職業 実業家
子供 飯田新一
栄誉 従五位勲四等瑞宝章(1952年)
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飯田 直次郎(いいだ なおじろう、1884年(明治17年)6月26日 - 1952年(昭和27年)1月23日)は、日本の実業家髙島屋社長を務めた。

来歴・人物[編集]

3代飯田新七の長男として京都府に生まれる[1]

京一中、第四高等学校東京帝国大学法科経済学科卒業後、1909年12月、髙島屋飯田合名会社に入社[1]

1919年8月、髙島屋呉服店(髙島屋の前身)が創設されると取締役に就任し[2]、海外貿易事業に従事。1926年に専務に就任してからは、大阪・なんば、東京・日本橋の両店を開店して、百貨店の基礎を築き、髙島屋を百貨店として成長させた[1]1942年3月、4代飯田新七が健康上の理由から社長を辞任したため、第3代社長に就任した[3]

戦後は、美術関係に情熱を注ぎ、横山大観などと親しくして髙島屋美術部の名を高め、日本の美術界の発展に尽くした[1]。ほかに髙島屋飯田会長、住江織物大阪スタヂアム取締役なども歴任した[2]

1952年1月23日、肝硬変のため死去。同日付を以って、従五位に叙せられ、勲四等瑞宝章を授与される[1]

1960年、髙島屋第5代社長に就任した飯田新一は長男[4]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 『日本経済を育てた人々』関西経済連合会、1955年。 
  • 高島屋150年史編纂委員会編『高島屋150年史』高島屋、1982年3月。