頴娃城

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頴娃城
鹿児島県
別名 獅子城
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城年 応永年間
主な城主 頴娃氏
廃城年 江戸時代
遺構 石垣、堀、土塁
指定文化財 鹿児島県史跡

頴娃城(えいじょう)とは、鹿児島県南九州市頴娃町郡字城内に存在する城郭。鹿児島県の指定史跡文化財に指定されている。

沿革[編集]

頴娃城跡は指宿と開聞岳の間にある。標高230メートル付近のシラス台地上に構築された。別名、「獅子城」「野首城」とも呼ばれており、現在も城内(そない)、上城山(かみそやま)、下城山(しもそやま)、高城(たかじょう)などの地名を頴娃城の跡に残している。

築造年代は応永年間のことであったとされ、最初の城主一族は「伴姓頴娃氏」と呼ばれる一族であった。なお、その前に頴娃地区に存在した一族、「平姓頴娃氏」とは別のものである。頴娃城は肝付兼元の次男である肝付兼政(忠重)によって築かれた。兼政を祖とする伴姓頴娃氏の8代・170年にわたる居城であった。現在城址には土塁や空堀などの遺構が良好に残っており、本丸跡に城址標柱と別名の「獅子城址」と書かれた城址碑が建てられている。

応永27年(1420年)から8代・170年にわたって頴娃を治めていた伴姓頴娃氏の居城の跡と伝えられるこの頴娃城は、現在も当時の城壁や空堀・土塁などの跡が残っており、戦国時代末期の山城の構造を知る上で貴重な資料となっている。

1546年、この土地を訪問したポルトガル人の商人、ジョルジ・アルヴァレスが頴娃城と考えられる城郭を訪れ、それを日本に滞在していたフランシスコ・ザビエルに伝えた。それがヨーロッパに伝わることとなり、ヨーロッパで紹介された日本で最初の城郭となった。

また、江戸時代の「三国名勝図絵」に、7代頴娃久虎の代に5層の天守閣が築かれた、との記録が残っているが、実際の発掘調査では櫓台こそ出土したものの、5層の天守閣跡とみられる遺構はついに発掘されず、実際は存在しなかったと考えられるにいたっている。

伴姓頴娃氏は久虎が没して八代領主・久音が継ぐと頴娃、山川、指宿の所領を没収され谷山へ移されたため、頴娃の地は頴娃氏の手から離れて島津の直轄領となるに至った。廃城となった頴娃城は、直轄支配するにあたって武家屋敷群が整備され、今でも頴娃町郡地区には残されている。その時の武家屋敷の石垣などの遺構が見て取れる。

なお、文明年間(1469年~1486年)に建立された大通寺は頴娃氏の菩提寺であり、江戸時代ごろまでは存在し、現在は廃寺となっており、その跡地には頴娃氏の墓塔群5基と歴代住職の墓塔群14基が残り、往時の遺構を今に伝えている。

平成17年(2005年)4月19日鹿児島県の史跡に指定された。

主な曲輪[編集]

  • 本丸(城内で最も南)
  • 二の曲輪(本丸の北側)
  • 三の曲輪(農道により分断された本丸の一部と考えられる)
  • 四の曲輪(三の曲輪の北側)
  • 桝形(西の丸)
  • 西の丸(四の曲輪の西側)
  • 出丸(西の丸付近)

主な出土品[編集]

年表[編集]

アクセス[編集]

最寄りの頴娃駅

国道226号線麓交差点から車で5分。JR指宿枕崎線頴娃駅から車で5分。

関連項目[編集]