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青木康忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
青木康忠
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正元年(1573年8月[1]
官位 上野介[1]
主君 朝倉義景[1]
父母 青木景康[1]
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青木 康忠(あおき やすただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将朝倉氏の家臣。

経歴

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永禄11年(1568年朝倉義景のもとへ移った足利義昭の警護役を務める[1]元亀元年(1570年)の金ヶ崎の戦いでは朝倉義景に従い織田信長勢相手に奮闘する[1]。のち天正元年(1573年一乗谷城の戦いで再び信長勢と戦うが討死した[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 阿部猛・西村圭子 『戦国人名事典』 新人物往来社、p.11(1987)