陳大六

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陳 大六(ちん だいろく、Chén Dàliù、? - 1868年)は、末のトン族の蜂起の指導者。

貴州省天柱出身。姜映芳の指導するトン族の蜂起に参加し、天柱県城を占領した。1862年5月には龍海寛とともに湖南省に進撃し、青渓(現在の鎮遠県)を占領して、貴州省に入る湘軍の補給路を断った。さらに玉屏で清軍3千人を破って東進を続けたが、8月に天柱が陥落し姜映芳が殺害されたため、余党を率いて抵抗を続けた。陳大六は江口屯に根拠地を置き、張秀眉率いるミャオ族蜂起軍と連合した。1864年には再び天柱を攻略し、湖南省に入って清軍を破った。1866年席宝田率いる湘軍2万人が貴州省に入り、江口屯を攻撃した。張秀眉からの援軍も遮られて江口屯は孤立し、1868年に陥落した。このとき1万人余りが殺害されたという。

参考文献[編集]

  • 高文徳編『中国民族史人物辞典』中国社会科学出版社