阿豆良神社
| 阿豆良神社 | |
|---|---|
|
鳥居と拝殿 | |
| 所在地 | 愛知県一宮市あずら1-7-19 |
| 位置 | 北緯35度17分2.4秒 東経136度49分26.0秒 / 北緯35.284000度 東経136.823889度座標: 北緯35度17分2.4秒 東経136度49分26.0秒 / 北緯35.284000度 東経136.823889度 |
| 主祭神 |
天甕津媛命 倭姫命 |
| 社格等 |
従一位 式内社 郷社 |
| 創建 | (伝)垂仁天皇57年 |
| 別名 |
吾蘰名神 吾蔓大明神 阿豆良名神 |
| 地図 | |
阿豆良神社(あずらじんじゃ)は、愛知県一宮市にある神社。『延喜式神名帳』に尾張国丹羽郡「阿豆良神社」として記載のある式内社。『尾張国風土記』に記録が残る古社である。
祭神
[編集]歴史
[編集]社伝によれば、創建は垂仁天皇57年(28年)という。元の位置は現在地の北約200m付近という。現在地の北約1kmに馬見塚遺跡と称される縄文時代から古墳時代の祭祀遺跡があり、これが旧地ともされる。現在地に移転したのは1587年(天正15年)の再建時と推測される。
奈良時代成立の『尾張国風土記』には、丹羽郡阿豆良里に関する記述がある。それによれば、7歳になっても話すことができなかった誉津別命を心配した皇后の夢にアマノミカツヒメを名乗る神が現れ、「私を祭る人を宛てがってくれるならば、誉津別命は話せるようになり、寿命も長くなる」と言った。天皇がこの神を探し占うよう建岡君に命じると、建岡君は榊の枝を折って縵(かずら)を作り「この縵が落ちる場所に必ずこの神が居られるだろう」と言った。縵は飛び去ってこの地に落ち、神がここにいるとして社を建てたという。
これらの伝承の信憑性は不明だが、8世紀前半の時点で当社が既に創建されていたことは確かと言える。平安中期成立の『延喜式神名帳』には「丹羽郡...阿豆良神社」とある。同時期の『倭名類聚抄』には「丹羽郡...吾鬘」とあるので、古くは「阿豆良」と書いたのが、好字二字令の影響をうけて「吾鬘」と書くようになったようである。神階について、『尾張国内神名帳』各写本は「従一位 吾蘰名神」としている。
1564年(永禄7年)、戦乱のため焼失するが、1587年(天正15年)に再建される。江戸期には吾蔓大明神と称されていた。江戸前期成立の『寛文村々覚書』によれば、当時は法昌寺(宝昌寺)持分で、社地は4反3畝歩、社領として畑地6畝歩を有していた。境内の摂社として、「一ノ宮 二ノ宮 三ノ宮 権現 白山 天神 八幡 神宮司」とある。近接する宝昌寺は神仏分離まで当社の神宮寺で、弘仁4年(813年)創建という。
1872年(明治5年)に阿豆良神社に改称し、郷社となった。
