関谷源兵衛 (八王子町長)
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関谷 源兵衛(せきや げんべえ、1835年 - 1908年)は、明治時代の日本の地方政治家、実業家。東京都八王子市の前身に当たる東京府八王子町長を務めた。八王子市長の関谷源兵衛は孫。
来歴
[編集]1893年に刊行された『三多摩人物評』によると、八王子で質屋を営み、多くの土地と建物を所有する豪商であった[1]。同書によると父の松兵衛の代から富裕な家で、明治初期には一揆に襲われる被害にも遭ったという[1]。八王子町議会議員となり、南多摩郡所属税調査委員も務めた[1]。
1894年に八王子商工会議所が設立された際には、発起人(第三十六銀行頭取の吉田忠右衛門以下合計8人)の一人となる[2]。
1901年3月7日に第4代八王子町長に就任[3]。約1年在任ののち、1902年3月5日に退任した[3]。町長在職中に、中央本線が八王子駅から上野原駅まで延伸され、高尾駅(当時は浅川駅)が開業している[3]。
1908年に死去した[要出典]。
脚注
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