門田ゆたか

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門田ゆたか

門田 ゆたか(かどた ゆたか、1907年明治40年)1月6日-1975年昭和50年)6月25日)は昭和期の作詞家。本名門田 穣

経歴[編集]

福島県信夫郡福島町(現・福島市)出身。早稲田大学文学部仏蘭西文学科中退。

西條八十に師事、後に作詞家となり、1933年(昭和8年)、ビクターレコードより「東京祭」でデビュー。 1936年(昭和11年)、藤山一郎の「東京ラプソディ」が大ヒット。 その他の代表作には、灰田勝彦大谷冽子「ジャバのマンゴ売り」、岡晴夫「東京の花売娘」(佐々詩生名義)、藤山一郎「ニコライの鐘」、美空ひばり「私のボーイフレンド」、「ひばりが唄えば」、コロムビア・ローズ「プリンセス・ワルツ」、「ロマンスガイド」などを作詞。

ハワイアンを多数作詞したことでも有名で、「小さな竹の橋で」、「月の夜は」、「林檎の木の下で」などを作詞。

1975年(昭和50年)6月25日心不全で死去。享年68。

代表曲[編集]