長坂端午

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長坂 端午(ながさか たんご、1907年5月5日 - 1977年)は、日本の教育学者、文部官僚。東京教育大学名誉教授。

略歴[編集]

長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)出身。長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、第一高等学校卒業[1]

1928年下諏訪尋常高等小学校(現・下諏訪町立下諏訪南小学校)代用教員。東京文理科大学(現・筑波大学)教育科卒業。1932年山梨県女子師範学校教諭。1936年和歌山師範学校教諭。1941年静岡師範学校教諭、同附属国民学校(現・静岡大学教育学部附属静岡小学校)主事。1945年応召により中国へ出征。

1947年文部省(現・文部科学省)教科書局に入省、同局小学校社会科主任、文部事務官 。1949年初等中等教育局初等教育課に配属。社会科学習指導要領補説、学習指導法作成。1951年版学習指導要領作成。1951年信濃教育会教育研究所所長。1953年東京教育大学(現・筑波大学)教授。1954年文部省教材等調査研究会委員として学習指導要領作成。1958年重松鷹泰上田薫、大野連太郎らと「社会科の初志をつらぬく会」を結成し委員長就任。同年社会科教育学会会長。1959年東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)校長。1967年東京教育大学教育学部長。1971年同大学定年退官、同大学名誉教授。1977年勲三等旭日中綬章

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 重松鷹泰の教育思想(一)宇都宮大学教育学部研究紀要