鈴木セイ

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鈴木 セイ(すずき セイ、1912年明治45年〉3月30日 - 2013年平成25年〉1月23日)は、日本福祉活動家群馬県桐生市境野町出身。

群馬県立桐生高等女学校(現、群馬県立桐生女子高等学校)を卒業後、結核患者の介護を志し、母が娘の結婚のためにと貯蓄した資金を学費とし、佐伯栄養学校(現、佐伯栄養専門学校)、木村産婆看護婦学校看護科で、栄養学看護学を学ぶ[1][2]

1938年昭和13年)、榛名山の麓に結核保養所の榛名荘(現、榛名荘病院)を開所し、常任理事に就任。1955年、優良栄養士として厚生大臣賞を受賞。1960年、群馬県社会福祉協議会会長賞を受賞[2]

1963年、社会福祉事業およびメディカルリハビリテーション研修のためにスウェーデンデンマークイギリスを視察し、重症心身障害児施設で重症児に出会う。帰国後に日本国内の重症児の状況を知り、救済のための準備を進める[2]1968年(昭和43年)、重症心身障害者施設はんなさわらび学園(現、はんな・さわらび療育園)を創設[2]1976年(昭和51年)には、それまで40年以上にわたる社会福祉事業への尽力を評価され、吉川英治文化賞を受賞した[1][3]

鈴木が福祉の道を志した昭和初期には活物資が窮乏していたため、結核患者の喀血の処置や食料の確保に奔走する実践躬行の思想は社会の動向に逆らうものと考えられており、数多くの苦闘があった[2]。実の両親からは「嫁入り前の娘のすることではない」と強く反対され[2]、勉学をともにした旧友も「当時の私たちには夢物語としか考えられないようなことを言っていた」と語っている[2]。実践躬行の中で人の命を守ることを使命とするその姿は、作曲家の服部良一から「聖女」と呼ばれて称えられた[2]

2013年(平成25年)1月23日、死去[4]。没年齢100歳。

脚注[編集]

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  1. ^ a b 上田他 2001, p. 1015
  2. ^ a b c d e f g h 鈴木セイ名誉会長の歩みと業績”. はんな・さわらび療育園 (2013年5月22日). 2013年11月14日閲覧。
  3. ^ 過去の受賞者一覧”. 講談社 (2006年). 2013年11月14日閲覧。
  4. ^ 鈴木セイ名誉会長 ご逝去”. はんな・さわらび療育園 (2013年5月22日). 2013年11月14日閲覧。

参考文献[編集]