金田正矩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

金田 正矩(かねだ まさのり、元文2年6月26日1737年7月23日) - 文化6年11月24日1809年12月30日))は、江戸時代中期の旗本出羽国米沢藩の支藩にあたる米沢新田藩主家上杉氏の一族。父は初代藩主の上杉勝周で、母は片桐貞起の娘。同母兄は上杉勝承。旗本で本姓桓武平氏千葉氏庶流の金田正峯(幸次郎)の養子となり、相続する。は初め勝職(かつもと)、正尹(まさのぶ)、正矩。幼名は應次郎。通称は幸之助、采女。

経歴[編集]

金田正峯の実子正於(弥惣八)が病弱であるため、正峯の次女と婚姻し、正峯の婿養子となる。安永6年(1777年)に江戸城西の丸小姓組の番士となり、安永8年(1779年)に本丸勤めとなる。安永9年(1780年)に養父の隠居を受けて家督相続する。

天明元年(1781年)に西の丸勤めに復し、天明6年(1786年)には本丸勤め、寛政5年(1793年)に西の丸勤めとなる。

参考文献[編集]

  • 「新訂 寛政重修諸家譜 第9」続群書類従完成会
  • 「新訂 寛政重修諸家譜 第12」続群書類従完成会