金子七郎兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

金子 七郎兵衛 保憲(かねこ しちろうべえ やすのり、安永8年(1779年) - 弘化3年5月1日1846年5月25日)は、岩手県日詰郡山美濃屋(後の幾久屋)の4代目、盛岡藩勘定奉行[1]

経歴[編集]

郡山美濃屋初代・金子七郎兵衛は、美濃屋を開基した金子宗三郎(法名浄閑)の6男として京都で生まれ、南部へ移り、日詰に美濃屋郡山店を開業した[2]

郡山美濃屋は4代目金子七郎兵衛保憲の代になり繁栄するが、それは文政8年(1825年)、盛岡藩12代藩主南部利済(としただ)との関係が大きい。利済の父利謹は藩主の座につくべき人であったが、ある事情から廃嫡され、子の利済も盛岡願教寺に預けられて、少年時代は不遇のうちに過ごした。これを気の毒に思った保憲はひそかに庇護してきたが、その利済が後に藩主に迎えられることになった。利済の保憲に対する信任は格別なものがあり、日詰代官所の役人に登用されたのを初めとし、天保14年(1843年)に勘定奉行元締役(300石)という行財政の最高の役に抜擢されるに至る。商業の面でも大活躍をとげ、呉服・食料品・雑貨等の販売、鉱山経営や植林事業にも携わった。また、1万両を拠出して北上川に橋(承慶橋)の架橋(弘化3年(1846年)竣工)に尽力した。橋は洪水に流されて8年間と短命(嘉永7年(1854年)秋廃止)であったが、川面に顔を見せる橋脚の岩(承慶橋中島遺跡)は紫波の商人の心意気を今に伝えている[3]

美濃屋は、嘉永2年(1849年)、14代藩主南部利剛が美濃守に任官したため、屋号を幾久屋に改めた。資産は田畑が31ヶ村にわたり、計784石余(約78町歩)、家屋敷が日詰に37軒、総計72軒、屋敷のみ持地が30ケ所、数百町歩の植林地があった[1]。6代七郎兵衛幸隆は、新渡戸伝新渡戸稲造の祖父)の三本木原(三本木原台地)(青森県十和田市を中心とした台地)の開拓に協力し、数万両を出費し支援した[4]。また、7代七郎兵衛遠長のとき、明治9年(1876年)と明治14年(1881年)に明治天皇東北巡幸の御昼食行在所となり、昭和4年(1929年)敷地は公園(日詰ふれあい広場)として日詰町に寄贈された。南部有数の豪商であった[5]

4代目金子七郎兵衛の次男、善七の次女キンが花巻の宮沢喜助に嫁ぐ。キンは宮沢政次郎の母であり、宮沢賢治の祖母にあたる[6]

先祖は美濃の刀工、関の孫六(孫六兼元)(初代孫六)(2代兼元)(最上大業物)。2代孫六(3代兼元)(大業物・古今鍛冶備考)。3代孫六(4代兼元)三郎左衛門兼辰(かねとき)(大業物・古今鍛冶備考)は、赤坂から関へ移り、上有知(現・美濃市)でも鍛刀した。常楽開基徳雲和尚行業記(関市史P.567)は、兼信(志津三郎兼氏の子・孫:刀工大鑑P.112)ー兼在(室屋派祖)-辰重ー兼辰とする。又、金子氏嫡系図式(関市史P.290)は、兼辰は2代孫六へ養子とする。又、日本刀辞典(P.157)は、初代孫六の父は兼並、従って祖は兼俊とする。又、美濃刀大鑑(P.43)は、志津三郎兼氏と兼俊は、兄弟とする。菩提寺:関市・梅竜寺・孫六墓所。4代孫六(5代兼元)宗兵衛兼辰(良業物・古今鍛冶備考)。5代孫六(彦左衛門)(商人)の3男で京都で商人となった宗三郎(法名浄閑)の6男が初代・金子七郎兵衛である[7]

*金子宗三郎(法名浄閑)は、京都店を本店とし、江戸店、日詰郡山店、八戸店等を支店とする美濃屋を創業した。また、関市・常楽寺を開創した兄・八郎兵衛・徳雲浄祥へ寄進した三尊仏が、本尊・木造釈迦如来坐像は、関市重要化財及び岐阜県重要文化財に、脇侍・木造菩薩坐像は、国重要文化財(2010・3・19)に指定された。また、関の梅竜寺に父母の菩提として、元禄10年(1697年)、大般若経600巻を寄進している。享保4年(1719年)3月21日没。菩提寺は京都・妙心寺春浦院[8]

4代七郎兵衛は、弘化3年(1846年)5月1日、69歳(誕生年が正しければ68歳)で没し、岩手県日詰町(現・紫波町)来迎寺に葬られた。隠居名・尚慶[9]

出典[編集]

書籍[編集]

  • 金子隆一「マルイチ幾久屋物語」『機関紙 郷土をさぐる』菅野稔 (上富良野町郷土をさぐる会) 編集・発行、第20号、2003年、10頁。[1]
  • 関登久也『賢治随聞』角川選書、1970年。
  • 堀尾青史(編)『宮沢賢治年譜』筑摩書房、1991年。
  • 岩手県紫波町史、第1巻、1972年。
  • 関市史。「常楽開基徳雲和尚行業記」、1999年。
  • 『美濃刀大鑑』得能一男。「金子氏嫡系図式(孫六系図)」、1975年。
  • 「日本刀辞典」得能一男、工芸出版、1987。
  • 「刀工大鑑」決定版、徳能一男、工芸出版、2004。
  • 「幾久屋 金子のこと」木村完三、1983年
  • 「関の孫六(孫六兼元)の系譜他」改訂第3版、金子征史、2017年。
  • 岐阜新聞「今を築いた中濃の人びと」、2010年3月26日、2011年1月28日。

碑文[編集]

  • 金子家累栄之碑 金子家累葉碑陰記(岩手県紫波町来迎寺)

脚注[編集]

  1. ^ a b 『岩手県紫波町史 第1巻』p.875
  2. ^ 『岩手県紫波町史 第1巻』p.873
  3. ^ 『岩手県紫波町史 第1巻』p.875、p.932-936
  4. ^ 『岩手県紫波町史 第1巻』p.887
  5. ^ 「幾久屋 金子のこと」p.48-62
  6. ^ 『宮沢賢治年譜』p.16
  7. ^ 「関市史」p.567、「関の孫六(孫六兼元)の系譜他」p.55、87、92
  8. ^ 「関市史」p.567、「関の孫六(孫六兼元)の系譜他」p.112
  9. ^ 『岩手県紫波町史 第1巻』p.876

ウェブサイト[編集]