南部利剛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
 
南部利剛
Nanbu Toshihisa.jpg
生誕 文政9年12月28日1827年1月25日
死没 明治29年(1896年10月30日
改名 謹敦→利剛
別名 鉄五郎(幼名
官位 侍従→少将、四品→従四位→正三位美濃
父母 父:南部利済、母:楢山隆翼の娘・烈子
養父:南部信誉
正室:松姫(明子、徳川斉昭の娘)
長男・利恭(15代藩主)、
次男・大隈英麿大隈重信婿養子、後離縁)、
三男・信方七戸藩4代藩主)、
四男・慶麿
五男・剛護
十一男利克八戸南部家12代当主)、
郁子(華頂宮博経親王妃)、
麻子南部栄信正室)、
稠子(南部康直室のち南部康保に入籍)、
宗子(秋元興朝正室)、
倫子(南部剛隆室)、
貴子(松前修広継室のち鍋島直虎継室)など

南部 利剛(なんぶ としひさ)は、陸奥国盛岡藩の第14代藩主。第12代盛岡藩主南部利済の三男。

経歴[編集]

藩主南部利済の三男として盛岡に生まれる。七戸藩主南部信誉の養嗣子となるが病により本家へ戻る(『補遺参考諸家系図』)。

嘉永2年(1849年)9月26日、養父利義の隠居より、家督を相続した。養父(実兄)利義の隠居は、実父の利済との対立のためであった。同年10月15日、将軍徳川家慶にお目見えする。同年12月16日、従四位下美濃守に叙任する。嘉永4年12月16日、侍従に任官する。文久元年(1861年)12月16日、左少将に任官する。元治元年(1864年)4月18日、中将に任官する。

利剛の家督相続に対しては反対が根強く、嘉永6年(1853年)の第2次三閉伊一揆では利義の復帰及び帰国が一揆側の要求の一つであった。この要求は退けられ、その後も藩主は利剛のままであった。安政元年(1854年)2月23日、幕府は祖父利済に対し、江戸下屋敷での蟄居を命じる。養父利義に対し、藩政への介入を禁止している。父が幕府の命により江戸で蟄居を命じられて以降に親政を開始したが、藩政再建に関して家老で母方の従弟の楢山佐渡と、同じく家老で極端な改革を進める東政図(中務)が対立するなど、藩政は迷走する。

安政2年(1855年)の安政大地震に遭遇して負傷する。

慶応4年(1868年)、夏に九条道孝率いる新政府軍の進駐を受けてこれに対し饗応するが、布告には恭順しなかった。同年8月、楢山佐渡の京都からの帰国及び秋田藩が新政府側へ恭順すると、これを攻撃するために奥羽越列藩同盟の盟約に従って出兵した。同年9月新政府に降伏を申し入れ、同年10月9日降伏を認められた。同年12月7日に明治新政府から隠居と領地没収を命じられたが、長男・利恭陸奥国白石13万石に減転封となった。また、家老・楢山佐渡ら3人が切腹となった。

人物[編集]

  • 温厚な性格で、争いを好まず、政務の決定は重臣に委ねて干渉しなかったが、かえって楢山と東の暗闘が続き、施策が一定しない結果を招いた。
  • 文武奨励に積極的で、藩校作人館(現盛岡市立仁王小学校)の拡張と学田を設けた。

官職および位階等の履歴[編集]

  • 嘉永2年(1849年)12月:四品に叙任。
  • 嘉永4年(1851年):従四位侍従に叙任。
  • 文久元年(1861年)12月:従四位少将に叙任される。

栄典[編集]

主要家臣[編集]

嘉永7年(安政元年・1854年)及び慶応2年(1866年)の武鑑で見られる主要家臣は以下のとおり。

【嘉永7年】

《世襲家老》
南部弥六郎南部土佐南部吉兵衛
《その他家老》
毛馬内典膳楢山帯刀向井大和下田舎桜庭陽之輔楢山五左衛門南部主計三戸駿河
《北地大番頭》
藤枝宮内
《近習頭》
花輪徳之助原直記原敬祖父)、田鎖左膳
《番頭》
桜庭十郎右衛門内堀若狭奥瀬内蔵野田舎人下田将監奥瀬治太輔
《側用人》
中野要人南部謹詳附家老兼務)、川島杢左衛門南部剛弘附家老兼務)、石原汀田鎖茂左衛門高屋長門
《用人》
井上弥学楢山宇八郎戸来又兵衛栃内与兵衛下田右学米田武兵戸来官左衛門嶋川融機吉兼大進木村与一菊池金吾千種平角
《城使》
加島七五郎(定府)、小野寺傳八新渡戸十次郎新渡戸傳の子)
《添役》
加島加録

【慶応2年】

世襲家老
南部弥六郎南部監物南部吉兵衛
その他の家老など
向井外記楢山佐渡花輪図書三戸式部南部主水南部啓之助南部左近南部廉次郎
北地大番頭
桜庭裕橋
近習頭
米田武兵戸来又兵衛
番頭
桜庭十左衛門内堀若狭八戸内記下田将監黒澤内膳漆戸瀧口
側用人
栃内与兵衛毛馬内九左衛門江刺邊葛巻善左衛門
用人
奥瀬衛門奥寺八左衛門野々村眞澄小野寺傳八新渡戸十次郎中野三五郎
城使
加嶋加禄横田隼之助
添役
寺澤純一郎(定府)

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 『官報』第4004号「叙任及辞令」1896年10月31日。

参考文献[編集]

  • 「日本人名大辞典」(講談社
  • 「岩手県史 第5巻」
  • 「三百藩家臣人名事典 1」(新人物往来社
  • 橋本博「改訂増補・大武鑑・中巻」(1965年、名著刊行会)
  • 「系図纂要」

外部リンク[編集]