野母村
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のもむら 野母村 | |
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廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 高浜村(一部)、野母村、脇岬村、樺島村 → 野母崎町 |
現在の自治体 | 長崎市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 長崎県 |
郡 | 西彼杵郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
5,983人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 西彼杵郡脇岬村、高浜村 |
野母村役場 | |
所在地 | 長崎県西彼杵郡野母村2192番地 |
座標 | 北緯32度34分55秒 東経129度45分12秒 / 北緯32.58189度 東経129.75339度座標: 北緯32度34分55秒 東経129度45分12秒 / 北緯32.58189度 東経129.75339度 |
ウィキプロジェクト |
野母村(のもむら)は、長崎県南部の長崎半島にあった村。西彼杵郡に属した。1955年(昭和30年)に隣接[1]する高浜村の一部、脇岬村及び島嶼部の樺島村と合併し、野母崎町となった。
現在の長崎市野母崎地区の南西部、野母町にあたる。
地理
[編集]野母半島(長崎半島)の南西端に位置する。
- 山:権現山
- 島嶼:田ノ子島
- 港湾:野母漁港
沿革
[編集]伝説によれば、大化・白雉年間の頃、紀伊国の熊野(現在の三重県南部と和歌山県南部にあたる地域)出身の漁師夫婦が当地に漂着した。その後夫は帰郷したが、妻は残り当時無人であった当地に里を開いたとされる。「野母」の地名の由来は「熊野の母」が省略されたものという[2]。当村に所在する熊野神社は、この漁師夫婦が熊野から勧請したものとされる[2][3]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、西彼杵郡野母村が単独村制にて発足。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 脇岬村、樺島村及び高浜村の一部(本村名・黒浜名・以下宿名・南越名)[4]と合併し町制施行。野母崎町が発足し、野母村は自治体として消滅。
地名
[編集]野母村では他の西彼杵郡の各自治体で見られる郷や名の行政区(地名)を設置していない。また、1889年の町村制施行時に合併を行っていないため、大字も存在しない。このため「野母村○○番地」のように村名の次に地番を表示する住所表記となる[5]。
名所・旧跡
[編集]- 野母崎