醜女の深情け

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醜女の深情け
Tillie's Punctured Romance
監督 マック・セネット
脚本 ハンプトン・デ・ルース
クレイグ・ハッチンソン
マック・セネット
原作 アルフレッド・ボールドウィン・スローン
エドガー・スミス
Tillie's Nightmare
製作 マック・セネット
出演者 マリー・ドレスラー
メーベル・ノーマンド
チャールズ・チャップリン
マック・スウェイン
チャールズ・ベネット
チェスター・コンクリン
フィリス・アレン
ジョー・ボルドー
チャーリー・チェイス
ハンク・マン
撮影 ハンス・コーンカンプ
フランク・D・ウィリアムズ
製作会社 キーストン・フィルム・カンパニー
配給 アメリカ合衆国の旗 ミューチュアル・フィルム
公開 アメリカ合衆国の旗 1914年11月14日
上映時間 74分 / 90分
82分(2003年版)
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 サイレント映画
英語字幕
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Tillie's Punctured Romance

醜女の深情け』(しこめのふかなさけ、Tillie's Punctured Romance)は、1914年公開のサイレント映画キーストン社による製作で、監督はマック・セネット。映画史上最初の長編喜劇としてその名を残し[1]、のちにアカデミー主演女優賞を受賞するマリー・ドレスラーの映画デビュー作として記録されている。助演はメーベル・ノーマンドチャールズ・チャップリンで、その他キーストン社の主だった俳優が出演するなど、文字通り社を挙げて製作した映画である。

「チャップリン映画」という観点で見ると、1971年に映画研究家ウノ・アスプランドが制定したチャップリンのフィルモグラフィーの整理システムに基づけば、チャップリンの映画出演33作目にあたり[2][注釈 1]、またチャップリンが他人のメガホンのもとで出演した事実上最後の映画である。また、別のスターの脇に回った唯一の映画でもある[1]とされることもある(ただしフォード・スターリング主演の『泥棒を捕まえる人』やロスコー・アーバックル主演の「ノックアウト」でも助演している)。

日本では『チャップリンの醜女の深情(しこめのふかなさけ)』のタイトルでDVDが発売されている[3]。また、『チャップリンの百万長者』とのタイトルで公開されたこともある[4]

あらすじ[編集]

ティリー・バンクス(ドレスラー)はお人好しで少々愚かな農場主の娘。ペテン師(チャップリン)にありもしない土地の購入話をもちかけられて話に乗ってしまったが見事にだまされ、刑務所に入れられる。その間にペテン師は昔の女友達であるメーベルとともにティリーからだまし取った金で都会で遊んでいた。数年後、出所したティリーが大富豪の伯父ダグラス・バンクス(チャールズ・ベネット)の財産を将来的に相続することをつかんだペテン師はメーベルと密議をこらし、ティリーが伯父の別荘に出かけている最中にメーベルをメイドに偽装させて屋敷に忍び込ませ、財産を狙おうと画策する。しかし、ティリーの伯父が本当に亡くなり、ティリーが屋敷に戻るとペテン師とメーベルの悪事が発覚し、2人は警察に追いかけられる[5][6][7]

概要[編集]

原作は1910年に発表されたアルフレッド・ボールドウィン・スローン英語版とエドガー・スミスの『ティリーの悪夢』であり、すでにブロードウェイで大評判をとっていた喜劇であった[7][8]。チャップリンの伝記を著した映画史家のデイヴィッド・ロビンソン英語版の見立てでは、マック・セネットは師匠筋にあたるD・W・グリフィスが、のちに『國民の創生』(1915年)として結実する大作の製作に取りかかったことを耳にしてライバル意識が芽生え、そこに当時流行の「有名俳優に有名舞台を組み合わせる」という製作手法をもって喜劇の大作に挑戦したとする[1]。セネットは駆け出しのころに、ドレスラーと多少の面識を持っていた[8]

挑戦が決まると、セネットはキーストン社の総力を挙げる形で製作に取りかかり、製作期間14週はキーストン社始まって以来の長さを記録した[8]。また、観客動員の担保のためにメーベルとチャップリンが助演に配され[8]キーストン・コップスの面々をはじめとするキーストン社の所属俳優の多くを総動員した形となった。結果的に完成した作品は、フィルムの長さ6000フィート[7]、6巻90分におよぶ喜劇映画初の長編物となった。6000フィートという長さを具体的に比較するなら、チャップリンが監督した作品で初めての長編である『キッド』のオリジナル版の長さが5250フィートである[9][注釈 2]。物語の大筋は生かされているが、ラストはキーストン映画「お約束」の展開となる[8]。作品は1914年11月14日に封切られ、批評家と観客双方から好意かつ熱狂的に迎え入れられ、その後も再公開が繰り返される作品となった[10]。もっとも、チャップリン自身は自伝において「作品の出来はたいしたことがなかった」と回想している[11]。ドレスラーとの共演自体は楽しかったようであるが[11]、そのドレスラーはチャップリンを「無名の俳優」と思い込み、「自分が有名にしてやった」と思っていた[8]。ドレスラーの回想そのものは正しくはないが、『醜女の深情け』が「チャップリンの名を広く知らしめた作品」であるという位置づけは、ロビンソンも特に否定はしていない[1]

なお、この作品以降チャップリンは他人のメガホンのもとで出演することも別のスターの脇に回ることもなくなったが、例外として1920年代に他人が監督した2本から3本ばかりの映画で、小さな役柄を特別出演という形で出演したことがある[1]。屋敷のセットはロスコー・アーバックルの「ノックアウト」のラストの追跡シーンで使われた。尚、ラストのティリーが銃を乱射しながらチャップリンを室内から屋外へと追跡するシーンと「ノックアウト」の追跡シーンは似ており、ティリーが海に落ちるシーンも「ノックアウト」でアーバックルが海に落ちるシーンと共通している。

キャスト[編集]

etc

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1914年製作、2010年発見の『泥棒を捕まえる人』を除く
  2. ^ ちなみに、『キッド』は1970年にチャップリン自身が作曲した音楽を付して再上映された際、いくつかのシーンがカットされている(#ロビンソン (上) p.320,323)。

出典[編集]

参考文献[編集]

  • チャールズ・チャップリン『チャップリン自伝』中野好夫(訳)、新潮社、1966年。ISBN 4-10-505001-X 
  • デイヴィッド・ロビンソン『チャップリン』 上、宮本高晴、高田恵子(訳)、文藝春秋、1993年。ISBN 4-16-347430-7 
  • デイヴィッド・ロビンソン『チャップリン』 下、宮本高晴、高田恵子(訳)、文藝春秋、1993年。ISBN 4-16-347440-4 
  • 大野裕之『チャップリン再入門』日本放送出版協会、2005年。ISBN 4-14-088141-0 
  • 大野裕之『チャップリン・未公開NGフィルムの全貌』日本放送出版協会、2007年。ISBN 978-4-14-081183-2 

外部リンク[編集]