通り池

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通り池(1977年度撮影)国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
通り池

通り池(とおりいけ)は、沖縄県宮古島市下地島の西岸にあるである。「下地島の通り池」として国の名勝及び天然記念物に指定されている。

概要[編集]

下地島北部の海岸近くにある大小2つの円形の池で、海側(南側)の池が直径75メートル、水深45メートル、陸側(北側)の池が直径55メートル、水深25メートルである。地上からは2つの池が並んでいるように見えるが、これらは地下部分でつながっており、さらに海側の池は洞穴で海とも通じている。「通り池」という名は、このような池の構造に由来する。この地形は、海岸にあった鍾乳洞が、波によって侵食されて大きくなり、天井が部分的に崩落して形成された陥没ドリーネに海水が浸入したものである[1]。池の周辺には石灰岩が点在するカレンフェルトと呼ばれるカルスト地形が発達している[2][3]

この池は海とつながっているために潮の干満につれて水面が上下し、サーモクラインによって色が変化して見える[4]。また、深度によって塩分濃度や水温に差があるため、多種多様な魚介類が分布しており、サーモクラインによる神秘的な景観とも相まって、絶好のダイビングスポットとなっている[5]

このような地形は希少であり、また、周囲に学術上貴重な植物が分布していることから、通り池は、2006年7月28日に国の名勝及び天然記念物に指定されている。名勝と天然記念物との二重指定は33年ぶりのことである。なお、この指定によって通り池でのダイビングが規制を受けることはないとされる[2]

伝説[編集]

神秘的な景観を見せる通り池にはいくつかの伝説が残っている。

ユナイタマ伝説
昔、この付近の木泊村には2軒の家があった。そのうちの1軒に住む漁師がユナイタマ(ジュゴン)を捕らえ、半身を切って隣家にも分けた。ユナイタマが海に助けを求めると、大波が3度押し寄せてユナイタマを運び去り、波が引いた後には、2軒の家があったところがぽっかりと池になっていた。また別の形では漁師の名は後前(あとめー)タカッチャと云い、よなたま(ユナイタマ)は人面魚体の人魚で食べるために炙られて母人魚に助けを求めたため、津波が起きたことになっている[6]
この伝説中の大波とは、1771年明和8年)の八重山地震の津波(明和の大津波)ともされる。しかし、この伝説と同じ内容の伝説が、明和の大津波以前の1748年に書かれた『宮古島紀事仕次』に記載されており、先島地方には明和の大津波以前にも何度も津波が襲来しているので、この伝説はそれらの津波に由来するものとも考えられる。『宮古島紀事仕次』には、ユナイタマはジュゴンであるという記述はない。
大正・昭和初期に活躍した郷土史家・稲村賢敷は、ユナ(海)・タマ(魂・精霊)で、海の精霊のことだとその著書のなかで解釈している。
継子伝説[7]
昔、下地島に住んでいた漁師が妻に先立たれ、残った子を育てるために後妻を迎えた。三人は仲良く暮らしたが、やがて自分の子が生まれると、後妻は先妻との間の継子を疎ましく思うようになった。ある日、男が漁に出かけると、継母は二人の子供を通り池に連れ出し、継子の兄を滑りやすいつるつるとした岩場に、実子の弟をごつごつとした岩場に寝かせた。
継母は夜中につるつるとした岩場に寝ていた子を通り池に突き落とすと、残った子を背負って一目散に家へと走り出した。すると、兄弟がいないことに気づいた背中の子は、継母にこうたずねた。「弟はどうしたの?」優しい兄は、岩がごつごつして眠れないという弟と場所を変わってやっていたのだが、継母はそれを知らずに自分の実子を池に突き落としたのだった。間違って我が子を殺したことに気づいた継母は、自分も通り池に飛び込んで命を絶ったという。
これは、海側の池にまつわる話で、現在でも池のそばには「ママ子台」と呼ばれる岩場が残っている。

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯24度49分26.5秒 東経125度8分11.1秒 / 北緯24.824028度 東経125.136417度 / 24.824028; 125.136417 (通り池)