赤谷城
赤谷城 (新潟県) | |
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城郭構造 | 山城 |
築城主 | 小田切盛昭 |
築城年 | 1581年頃 |
主な城主 | 小田切盛昭 |
廃城年 | 1587年 |
遺構 | 曲輪、堀切、井戸跡 |
指定文化財 | なし |
赤谷城(あかたにじょう)は、現在の新潟県新発田市にあった日本の城。
歴史[編集]
天正9年(1581年)、新発田重家が上杉景勝に対して反乱を起こした新発田重家の乱で、蘆名氏に仕えていた小田切盛昭が新発田氏を支援するために築城した。
会津からの物資輸送路として重要な役割を果たしたが、天正15年(1587年)8月、津川城からの援軍だった金上盛備が撃退される。景勝方の藤田信吉軍が到着し城を攻撃開始。続いて景勝自ら1万騎の大軍を率いて総攻撃に転じた。城兵は赤谷城に立て籠ったがわずか一日で落城し、小田切盛昭以下城兵は全滅した。
既に水上での補給路を断たれていた新発田城と五十公野城は、赤谷城陥落により陸路での補給路をも断たれた事により完全に孤立し、新発田氏は滅亡した。